.階段を下りて、外に出る。雨は降っていない。地面は乾き始めて、まだらだった。蝉の音も蝙蝠も宵闇にひそんで、明日の朝までに昼間のほとぼりを冷まそうとするかのように静まり返っている。人影は見えたが、男か女かも分からない遠くで道を曲がっていなくなってしまった。こうも無人だと、目の前の国道には間断なく自動車が行き交っているのが不思議だ。
(まあ、車に乗ってる人が歩くはずないんだから、車道が車でいっぱいなら歩道がガラガラでも当然なんだけどさ)
それでも、学校近くのファミリー向け一戸建て住宅街に生まれた時から住んでいる身としては、路上に人がいない風景なんて深夜以外考えられない。夜明け前には老人が新聞を取りに出てきて、夜更けには夜更かしした中高生が携帯電話の液晶画面の発光を灯篭にたむろしながら回遊しているのが、紫乃にとっての道路らしい道路だ。麻祈について歩きながら、つい物珍しくしてしまう。
彼が進んだのは、アパートの横にある露天駐車場だった。アパートの入居者に割り振られた駐車場と見え、実際まだ結構なスペースが帰宅前で空車のままである。そこを通っていく麻祈を追う。月光を反射する白いペイントで区切られたサイズは、どれも普通車か軽自動車のそれだ―――いや、両者を紫乃が見分けられたのは、地面にペンキで「軽」と書かれていたからだけれども。
彼が到着した乗用車もまた、普通車だった。落ち着いた藍色で、四角くもまるっこくもない、かどが取れた四角といったシルエットをしている。詳しくないのでメーカーや車種などは分からないが、外出すれば必ず一度はお目にかかるやつだ。
(こだわらない派なのかなぁ。別に、医者ならスポーツカーなんて思ってないけど、……)
ドアを開錠した麻祈が、運転席に滑り込んだ。芳香剤だろうメンソール系統の芳香がする。
彼は、ドアを閉めないまま、エンジンをかけたりボディ・バッグを背中から腹側に回したりしながら、話しかけてきた。
「後部座席へどうぞ。そっちの方が安全だし。助手席ちっとも片づけてなくて―――」
そして、助手席の荷物に手を掛けてみせたようだった―――ようだった、と言うのは車外に立った紫乃からその仔細が見えなかったからでもあるが、なにより、麻祈の頭に目をとめたままだったからだ。運転席に座ることで、紫乃の下に来て、せわしなく動いている後頭部。ふわんとやわらかそうな癖でまとまった黒い髪の真ん中に、つむじがひとつ巻いている。かわいい。
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