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きみを はかる じょうぎは ぼくに そぐわない

 本作品は書下ろしです。また、この作品はフィクションであり、実在する個人・地名・事件・団体等とは一切関係ありません。


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.世にも情けなくぶつぶつ言ってくる葦呼を家の中まで押し込み返して、紫乃はようよう息を吐いた。閉じていたドアを施錠して、パンプスを脱ぐ。そこに来て気付いたが、葦呼は裸足だった。玄関に立った時に付いたであろう砂を払う様子も見せず、ぐったりとくっついていた壁から起き上がって―――勢いづいて振りかぶった後頭部を、反対側の壁に痛打する。

 ご、と洒落にならない音を立てて、またしても床に蹲ってしまった。

「死角が……不覚……」

「いいから。葦呼いいから、こっち」

 冷凍マグロを引きずる漁港の漁師の心構えで、紫乃は羽交い絞めにした葦呼をずるずると引きずると、友人宅の居間へと二度目のお邪魔を遂げた。

(―――良かった。クーラー効いてる)

 とりあえず、そのことに安堵しておく。

 当たり前だが、前回来た時と同じ部屋だ……小さな庭に面した窓と、それと対面するように置かれたソファと、離れたところにテレビと衣装棚。さすがに炬燵は卓袱台になっていたものの、その他の備品は小物さえ模様替えさえされていない。ソファには脱いだコートが掛かりっぱなし―――繰り返すが今は夏だ―――、床には読みさしの本が積まれっぱなし―――繰り返すが紫乃の来訪は久方ぶりだ―――と、狭苦しいと思えてもいいくらいに散らかっているのだが、ロフトがついている分だけ天井が高く広々と感じられるせいか、あまり気にならない。ロフトを寝床にしているようなので、紫乃から見える範囲が寝具に占領されていないというのも大きいだろうが。

(まあ、片付いてないのに変わりないけどね……)

 使う時開くからと卓袱台の上でオープンにされたままのノートパソコンはまだしも、乾いたら着るからと干されっぱなしにされた下着もどうかと思う。まさか下着の方をまじまじと見やるのも気が引けてパソコンを見やると、ブラウザに電源が入っていた。藁にも縋る思いで、二日酔いを早期打開する裏技でもウェブ検索したのだろうか? コーヒーカップとガラスコップを≠(ヒトシクナイ)で繋いだ謎の写真を壁紙に、アイコンが縦に数列並べられている。

 葦呼がもたもたとパソコンに近寄って、それを閉じた。そして、力尽きたように机上へ突っ伏してしまう。

 紫乃は、葦呼へ向けた片手を開いたり閉じたりしつつ(結局タッチは出来なかった)、その丸まった背中へと声をかけた。

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.紫乃は、無人の門の中へと踏み込んだ。石畳を気取った風に並べてある苔むしたタイルを踏んで、前に一度くぐったきりの友人宅のドアまで進んでいく。駐車場は裏庭にあり、彼女の車が駐車されているのかは確認できなかった。そうして奥へと振った視線を前方に取り戻す前に、見覚えのある玄関に辿り着いてしまう。

 ありふれたドアだ。目立たない鉄の板で、装飾の縁飾りから箔が剝げかけていて、錆も浮いていて、なにより当たり前だが外部と内部を遮断している。内側がどうなっているのか分からない。上野の時と同じだ。思えば、あの時から引き返せなくなった―――

(呼び鈴を押す前に、いったん『着いたよ』って葦呼にメールか電話した方がいいかな?)

 ねじ込むように現実を思案する。が、それこそ返信が無かった時には呼び鈴を押すしかないし、返事があった時にだって内側から鍵を開けてもらう必要がある。となると、こうやってまごついているのも意味が無い。要は、逃げ口上が欲しいだけなのだ……先送りにできる言い訳が。

 決心というほどでもないが、それでもなにかを蹴り離す様な思い切りをつけて、紫乃は呼び鈴を押した。

 あっけなく、内側から鍵が外される音がする。ついで、ドアが押し開かれた。

「……立って動くのは大丈夫みたいだね」

 紫乃がお愛想で言えたのは、それくらいだった。

 実際、それが愛想だということは、葦呼当人が思い知っていたところだろう。独居用の賃貸住宅とは大概そういった造作なのか、玄関から奥へと短い廊下が伸びている……葦呼は玄関扉を押しのけながら、その壁にぐったりと凭れかかっていた。緑色のパジャマを着ているので、窓も無く電気もつけていない薄暗い廊下のすみにいられると、どことなく排水溝にへばりついた毬藻のように見える(毬藻は排水溝に流れないだろうし、ヘドロとまで思い切れないのは友情か同情か)。

 葦呼が、ばさばさに乱れて膨らんだ髪の狭間から、ねっとりと底光りする視線を紫乃に向けてきた。土気色をしているのか、蒼白だからフローリングの茶色が色移りして土気色に見えているのか判断がつかない面の皮の中で、目と鼻と口が別々に震える―――笑おうとしたのだろう。うまいこと連動させられないらしく、それだけでも失敗しているのだが。

「よちよち歩きでとぼとぼと、ヨボヨボな有り様でありんすが……」

 挙句に、ヘヘ、と吐息を付け足してくる。笑おうとしたはずなのだ―――との推論を保っている心証を削るほど不気味だが。

 とりあえず、じゃっかん引き腰になりながらも、ツッコむしかない。

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(―――ああもう)

 内側の囁きに、矢も楯もたまらなくなる。バス内の電光掲示板にずらりと整列した停車場名と、己の焦燥を打算して、紫乃は三つ先の停留所で降車することにした。

 そして何事もなく、その地点でバスから降りて。

 記憶にある市街地へと、駆け出す。すぐに息が上がった。小走りになる。つ―――と、汗にうなじを撫で下ろされ、ぞわっと総毛立った拍子に立ち止まってしまう。
それを指の腹で拭ってから、今更になって道順が不安になった。いったん、その場に立ち尽くす。

(……こんな風に葦呼の家に行くことになるなんて、これっぽっちも思わなかったなぁ)

 片手を庇に、紫乃はあたりを見回した。

 よくある住宅街である。見回したところで、真上の空くらいしか目線は通らない。敷き詰められた家壁と、更にその中に詰め込まれた家並みが、まばらな電信柱や鳥のフンの痕跡を平凡なアクセントに、どこまでも続いていく……駅へと直通する基幹車道と、そこから分岐した葉脈によって養われる、中流の区画らしい規格だ。つまり、学校や病院―――葦呼の勤務先―――や商店などからは徒歩圏内、かつ、各種娯楽施設へのアクセスは徒歩圏外であり、これにより徒歩でしか出歩けない子どもの管理を比較的容易に行うことを可能としている。反面、ゆきずりの愚連隊に目をつけられるような目ぼしい花もなくなってしまうので、にぎやかしさに欠ける点は否めないが。

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.直後、肺に吸い込んでしまった猛暑の威力に、胸焼けする。暑い。夕方になるにつれて直射日光の凄まじさは目減りしてきていたものの、日中それを存分に吸収したアスファルトからの後攻が刻一刻と増している。陽炎が見えそうだ……車道だったら、逃げ水も見えるに違いない。自分の部屋だって、さっきは駆けこんだだけで、あんなに暑かったのだ。葦呼の部屋はどうだろう? 前に華蘭と訪ねた時は、電気を消した炬燵に足を入れているのが快適な季節だった。想像だにできない。

 て言うか、葦呼が二日酔いだということからして、想像だにできないのだけれど。

 それでも、出来ないことを試みようと迷走しだす脳裏から意識を逸らしておきたくて、紫乃は小走りで市街地を抜けた。日傘を鞄から取り出そうとして、車移動がメインの仕事用ハンドバックにはそんなものを入れていなかったことに気付いたが、取りに戻るのも気がひける。幸か不幸か、ここ最近は社内の空調設備が“前向きな不調”―――とは社長のせりふで、要は冷風が出過ぎていても止まらないという故障―――を起こしていたので、ブラウスは長袖丈だ。靴下を履いていた流れで、履いてきたのもサンダルでなくパンプスである。日焼けせずに済む納得材料を手に入れて、そのまま駆け足気味に進む。

 程なく辿り着いたバス停で時刻表を確かめると、次に駅前まで行く車両が来るのは、二十二分先。待てる筈もなく、ひとつ先のバス停まで歩いた。まだ余裕があるように思えて、もうひとつ先のバス停まで進むうちに、そのバスに追い抜かれかけた。

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「葦呼ちゃんのご両親は? その話は?」

「してないんじゃないかなぁ。前に、ちょっと鼻風邪で電話に出ただけで、それ見たことか医者の不養生めって押しかけ女房されかけたらしいから。こりごりだって言ってたもん」

 大学へ進学するために単身で上京した葦呼は、地元に帰ってきてからも、ひとり暮らしを続けていた。実家から通勤するには距離があるというのは本当だろうが、両親の過干渉から物理的に距離を置きたいというのが本音であることは、推してはかるべきだろう……結婚・同居・孫の誕生の三点セットをせびってくるのは紫乃の父母も同じだが、その殺気立った険呑さは桁が違う。少なくとも紫乃の親は、血縁の年忌法要だと嘘をついてまで、見合い相手との会食に連れ出したことはない―――あまつさえ、その件について父を問い詰めたところ、「こんなことまで親にさせるほど追いつめたのはお前の方だ」と逆ギレされたこともない。

 その諍いは、葦呼から匙を投げたため休戦状態となり、いつの間にやら和平交渉を締結したことになっていたそうだ―――少なくとも葦呼の父にとってはそうらしい―――が、和平交渉とはそもそも和平しているなら在り得ないものだからして、つまりいつだって和平したという建前の裏から相手を侵犯する口実を狙っているという裏返しだ。鼻風邪の件がそれに当たる。

「あの手この手で追い返したらしいけど。それに、もの凄まじく苦労したんだって。色々」

「あらら。かわいそうに。どっちもこっちも」

「どっちもこっちも?」

「そりゃそうでしょ。子どもと親だもの。他の誰にも肩代わり出来ないし、やめられないしね、こればっかりは」

 遂に母は、本格的に料理する手を止めた。包丁を手放して、エプロンの裾で指を拭い始める。そうして、仕草ばかり先走らせながら、

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プロフィール

HN:
DNDD(でぃーえぬでぃーでぃー)
年齢:
17
性別:
非公開
誕生日:
2007/09/09
職業:
自分のHP内に棲息すること
趣味:
つくりもの
自己紹介:
 自分ン家で好きなことやるのもマンネリですから、お外のお宅をお借りしてブログ小説をやっちゃいましょう(お外に出てもインドア派)。

 ※誕生日は、DNDDとして自分が本格的に稼働し始めた日って意味ですので、あしからず。

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