.直後、肺に吸い込んでしまった猛暑の威力に、胸焼けする。暑い。夕方になるにつれて直射日光の凄まじさは目減りしてきていたものの、日中それを存分に吸収したアスファルトからの後攻が刻一刻と増している。陽炎が見えそうだ……車道だったら、逃げ水も見えるに違いない。自分の部屋だって、さっきは駆けこんだだけで、あんなに暑かったのだ。葦呼の部屋はどうだろう? 前に華蘭と訪ねた時は、電気を消した炬燵に足を入れているのが快適な季節だった。想像だにできない。
て言うか、葦呼が二日酔いだということからして、想像だにできないのだけれど。
それでも、出来ないことを試みようと迷走しだす脳裏から意識を逸らしておきたくて、紫乃は小走りで市街地を抜けた。日傘を鞄から取り出そうとして、車移動がメインの仕事用ハンドバックにはそんなものを入れていなかったことに気付いたが、取りに戻るのも気がひける。幸か不幸か、ここ最近は社内の空調設備が“前向きな不調”―――とは社長のせりふで、要は冷風が出過ぎていても止まらないという故障―――を起こしていたので、ブラウスは長袖丈だ。靴下を履いていた流れで、履いてきたのもサンダルでなくパンプスである。日焼けせずに済む納得材料を手に入れて、そのまま駆け足気味に進む。
程なく辿り着いたバス停で時刻表を確かめると、次に駅前まで行く車両が来るのは、二十二分先。待てる筈もなく、ひとつ先のバス停まで歩いた。まだ余裕があるように思えて、もうひとつ先のバス停まで進むうちに、そのバスに追い抜かれかけた。
手を振って運転手に気付いてもらい、なんとか数十秒遅れでバスに追いついて、肩で息をしながら乗車する。客用の中扉の端に取り付けてある機械から、ぺろんと飛び出ている乗車券を引き抜いて、紫乃は適当な空席に座った。紫乃の他の乗客は、男子高校生三人組だけだ―――バスの先頭あたりで吊り革を手に立ち尽くしながら、制服に包まれた肩をそびやかして、盛り上がるでもない雑談を繰り広げている。学生鞄も携えていた。これから制服のまま駅前となると、進学塾にでも向かうのだろう。こちらをちらりと掠めていった彼らの視線は淡泊で、夜遊びを前にしたテンションの高さのようなものは毛ほども感じなかった。
彼らはその冷静さで、紫乃のことをどう捉えたのだろう? 汗でぬれぼそった髪の生え際に必死にティッシュを押しあてて、外気と冷房の落差に飛び出かけたくしゃみを噛み殺している紫乃のことを。思わず、窓ガラスに映る自分の顔を見る。思ったより、化粧は崩れていなかった。元から崩れるほど化粧をしないタチだから、もう崩れるものがないくらい剥げてしまっていたとしても分からないが。
ただし問題は、そこではなかった。窓ガラスの向こう、覗きこんだ先の道路の上に、逃げ水が見えていた。
(葦呼、ちゃんと水とか飲めてるよね……? お医者さんだから二日酔いのことくらい知ってるし、エアコンだってついてた部屋だと思うし、……)
思うだけで、実際など分かったものではない。水が飲めているかなど知る由もないし、職種とアルコールの後遺症に関連があるわけがない。リモコンまで指を動かせなければエアコンは作動しない。枕元に携帯電話は置くにしても、涼しい夜だったとしたら、リモコンまではどうだ? 二日酔いで死亡というニュースより、この季節は室内で熱中症で以下同文というケースが続発してはいないか?
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