「葦呼……?」
「……はイ……」
返事があった。有り体に絶不調な片言で。
なんとなく片手なんぞ顔の横に広げつつ―――要は降参を固めながら―――、恐る恐る紫乃は声を掛けた。
「ど、うしたの?」
「きのぅ……死ぬほど酒飲んだっぽい。のに……死ねてなくて、どうやら死なないらしいくせしてこれからも死にかけるォヴォウゲエエェェええ……」
「わわわ分かった。だから助けてってことね。分かった」
生々しい音に思わず耳朶から携帯電話を浮かせつつ、紫乃は焦って葦呼を宥めた。前代未聞の事態だ―――ただしそれは、葦呼が犯してしまった失態としてはそうだというだけで、華蘭がやらかす珍騒動としてはちょくちょく在り得る。こんな電話も、まま過去にあったことだ。大体は、葦呼に通じない時に紫乃に回されてくるのだが。
「葦呼、実家じゃなくて自分のアパートだよね? 華蘭と遊びに行ったあそこだよね? わたしなら大丈夫だから、今から行くね。水とか、お粥とか、買ってきて欲しいものある?」
「……まごのて、でも……」
「て?」
「猫の手、でも……」
「それ買うものじゃなくて借りたいものだから! ああもう、とりあえずそっち行くからね。欲しいものはそこで訊くよ」
「らじゃあァ」
電話を終えて、紫乃は私服に着替えた。万が一にでも、貸与された制服を私用で汚すわけにはいかない。ブラウスはそのまま、スカートだけ履き替える。するとストッキングが似合わなくなったので、仕方なしに靴下に履き替える。
台所に降りると、母はエプロンを締めて炊事を再開していた。注意は手元の包丁の刃先にだけ向けられている……それだって、料理中なのだから当然だ。それでも、今はどことなくそれを見ることができないまま、紫乃は駆け寄ったテーブルの上のハンドバッグ―――母がしてくれたのだろうが、ちゃんとリボンタイと並べて、立て直されたそれ―――に手を掛けた。
「お母さん、ちょっと葦呼んとこ行ってくる」
「え? どうして? どうやって?」
手を止めた母が、怪訝そうに聞いてくる。実際に、そのことだけを訝しんで。
だから紫乃も、そのように母に応じることが出来た。
「二日酔いがひどいって、助け求めてきた」
「あらぁ。いつもは華蘭ちゃんなのに? なんでまた葦呼ちゃんまで?」
「ええと。華蘭と葦呼が共倒れなのか、ちょっとまだ分かんないけど。とにかく、自転車で行ってみる。葦呼のアパート、他人用の駐車場ないし、あんな細い路地に路上駐車しとくのも心配だし」
「自転車なんて。あんた自動車の免許取ってから、パンクさせたっきりでしょうよ」
「あ」
忘れていた。
それみたことかと表情を曇らせた母が、別種の心配にますます眉を顰めた。
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