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きみを はかる じょうぎは ぼくに そぐわない

 本作品は書下ろしです。また、この作品はフィクションであり、実在する個人・地名・事件・団体等とは一切関係ありません。


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「……―――」

 念のため、もう一度髪の毛に手櫛を一巡させてから、取り出したあぶらとり紙で要所要所の難敵を駆逐する。カゴバッグに丁寧に紙袋を収めて、肩に掛けてから、出来てしまっていた服の皺を払った。

 そして、三〇三号室へ。たった数メートル廊下を歩いただけなのに、階段を駆け上がるよりも動悸がする。寄り上がる緊張に、目の奥が痛くなってくる。喉だってカラカラだ。ああいけない、このままだと折角の口紅が乾いてしまう―――

(―――……ああもう!)

 噛み痕が付かないように下唇の内側を噛んで、紫乃は意を決した。そのドアの、インターホンを押す。

 さっと引っ込めた指で前髪を直しながら、紫乃は待ち侘びた。待ち侘びるくらいなら、どれだけでも出来た。ドアの向こうから聞こえ始めた物音が、今にも生身となってドアを開けてくれようとしている。

 であれば、きっと、ドアを開けてくれたなら。彼はちょっと仕事疲れでくたびれた表情をほほ笑みで誤魔化そうとしながら、夏らしい薄着の襟を正すに違いない。更には、目を伏せる。そして、やや恥を含んで、口ごもる。ごめん、普段着なとこ見せて……

(いやいやいやいや無い無い無い無い無い!)

 目まぐるしく湧いて出る白昼夢を、モグラたたきのように潰し終えた刹那。

 内側より、開錠する音が響いた。ドアが押し開けられてくる。咄嗟に、ドアの影に隠れてしまう。

 ドアは蝶番を支点にゆっくりと円弧を描いて、壁から垂直になる前に止まった。
陰から伸びた素手が、ドアのへりを掴んだ。声が聞こえる。

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.とのわけで、濃い日陰を渡り歩くように、小休止を挟みながら進んでいく。紙袋を提げた指が、汗ばんでビニール製の紐を滑らせた。日傘の影に収まりきらない素足が、直射日光に当たる都度ひりついてくる。ああ、足の甲とか、サンダル焼けしちゃうかも……せめて、赤くなるのは数日後になりますように。

 そして、どうにかこうにか、目的のアパートメントに到着した。時刻は、携帯電話の画面で確認すると、十七時前―――“暗くなる前”というワイドな時間指定である手前、ざっくり夕方だと見積もれば致命的に的外れでも無かろうと高をくくってきたのだが、それでもまだ躊躇ってアパートの駐車場まで寄り道してみる。がらがらに空いているアスファルトの上で、目星をつけた自動車に近寄ってみると、やはり麻祈の乗用車だ。フォルムや色だけでなく、助手席にいる顔触れが、あの夜のままだ―――それらの位置もおそらく変わっていない。

(誰もここに座ったりしてない)

 よし、と小さく頷く。

 紫乃は、来た道を辿って駐車場を出た。そして、今度こそアパートメントに向かう。

 そのアパートメントは、辿り着いてみると、やっぱりそのアパートメントだった。やはり人気なく、紫乃以外誰もいない、鉄筋コンクリート製の四階建て。敷石のタイルも砕けたままで……なんなら前より増えていたところでおかしくない。

 三〇三号室と思しきサンルームの窓を見上げてみるが、人が顔を覗かせている風でもなかった。虫がとまっているくらいだ。大きさからいって蝉だろう。

(蝉?)

 にしては、いやに黒い。と気付いた途端だった。

 それが壁を這った。ゴキブリだ。

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.―――ハイ……

 ―――あ、もしもし、坂田です。

 ―――エエあァ、どうも、そうでしたね、電話、時間……

 ―――あの、それで、前の電話で今日返す約束したサンダルなんですけど。本当に今日いいんですよね? いつくらいなら、ご在宅でしょうか?

 ―――ございたく。それは、今日は、暗くなる前には、いましたら、いいなあ……いいや、います、いますんですから……

 ―――は、はあ、それならわたし、バスを使って夕方にお伺いします。帰りもバスを使いますので、そこはお気遣いなく。

 ―――ええ、どうも、では、これでは……

 ―――これでは? あの……え? あ、切れちゃった―――

 とか思い出すまでもなく、

(うわあ。ほんとにひとりになってからケータイいじってるし……)

 赤面して、紫乃は身悶えする身代わりに、携帯電話をカゴバッグへと強引にねじ込んだ。

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.ちらっと虚空を見上げて、そうやって思い出を拾うことさえ楽しげに、二枚目の―――あるいは三枚目かそれ以上の―――煎餅に手を伸ばした。海苔巻きかサラダ味か迷ってから、結局は一枚目と同じ胡麻ふり七味がけを取り上げた。

「その紫乃が、いったんフラれたのに、また自分から頑張って追いかけてこうとしてるなんて。ちょっと新鮮」

 いったん振られたことになっているらしい。まあきっと、それでもいいのだ。それは母にとっての、紫乃の話だ。いつもみたく、ちょっと恍けたところがある母だ。

 相槌を打って、納得するしかない。

「そ、うなんだ」

「そう」

「うん。あの」

 そして、納得してしまえば、告白したくなった。

「実のところ、わたしも、新鮮だったりして」

「でしょ」

 そうなると、途端にいたたまれなくなって、そわそわと紫乃は席を立った。

「あの。ちょっと、行ってくる」

「車に気を付けてね」

 そのまま玄関から出て行こうとして、手ぶらであることに気づいて、部屋にとんぼ返りする。カゴバッグと紙袋を掴んで小走りに廊下を行くと、トイレに行こうとしていたらしい母と通りすがった。俯きがちに好奇の視線をやり過ごして、もういちど玄関で新品のサンダル―――まさか借り物より古めかしいものを履いていくなんて無謀は冒せない―――につま先を移したところで、麦わら帽子を忘れてきたことに気付いたが、また取りに戻るなんてとんでもない。見られるほど、おっちょこちょいに拍車がかかる気がしていた。

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.それを見返す紫乃が、反駁する機会を窺っているのを察したらしい。母は再度、説明に戻った。

「あとの証拠は……そうねぇ。また、みんなの前でも平気で携帯電話いじるようになったから」

「そんなの、別に普通のことじゃ―――」

「うん。普通。いつも、大体そうなの。大体いつも連絡くれるのは、いつもの人ばっかりだから。お母さんに見られても、お父さんに見られても、お姉ちゃんに見られても、ありきたり。そんなお友達からの連絡や、会社の人からの電話や、広告メール。その履歴を消したり整理したりするのを見られるのだって、ちっとも普通なのだらけ」

 うんうんと頷く紫乃。

 それを横目にした母が―――どうということもない、いつもの母が、したり顔もせずにさらっとトドメを刺してくるなんて思いもよらなかった。

「けど前はそれを、みんなのいないところで、するようになってた。だから―――ああ、そうすることが、紫乃にとって特別なことになったんだなって。履歴を眺めるのさえ楽しくて、誰にも邪魔されないで、部屋でひとり占めにしていたいんだなって。お母さんは思ったわけよ。それがぱたっとなくなったから、あーららフラれちゃったのねーって」

 言われてみれば、思い当たる節しかない。

 それが、ひどく理不尽にしか思えない。

 紫乃は、呟いた。

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プロフィール

HN:
DNDD(でぃーえぬでぃーでぃー)
年齢:
17
性別:
非公開
誕生日:
2007/09/09
職業:
自分のHP内に棲息すること
趣味:
つくりもの
自己紹介:
 自分ン家で好きなことやるのもマンネリですから、お外のお宅をお借りしてブログ小説をやっちゃいましょう(お外に出てもインドア派)。

 ※誕生日は、DNDDとして自分が本格的に稼働し始めた日って意味ですので、あしからず。

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