.とのわけで、濃い日陰を渡り歩くように、小休止を挟みながら進んでいく。紙袋を提げた指が、汗ばんでビニール製の紐を滑らせた。日傘の影に収まりきらない素足が、直射日光に当たる都度ひりついてくる。ああ、足の甲とか、サンダル焼けしちゃうかも……せめて、赤くなるのは数日後になりますように。
そして、どうにかこうにか、目的のアパートメントに到着した。時刻は、携帯電話の画面で確認すると、十七時前―――“暗くなる前”というワイドな時間指定である手前、ざっくり夕方だと見積もれば致命的に的外れでも無かろうと高をくくってきたのだが、それでもまだ躊躇ってアパートの駐車場まで寄り道してみる。がらがらに空いているアスファルトの上で、目星をつけた自動車に近寄ってみると、やはり麻祈の乗用車だ。フォルムや色だけでなく、助手席にいる顔触れが、あの夜のままだ―――それらの位置もおそらく変わっていない。
(誰もここに座ったりしてない)
よし、と小さく頷く。
紫乃は、来た道を辿って駐車場を出た。そして、今度こそアパートメントに向かう。
そのアパートメントは、辿り着いてみると、やっぱりそのアパートメントだった。やはり人気なく、紫乃以外誰もいない、鉄筋コンクリート製の四階建て。敷石のタイルも砕けたままで……なんなら前より増えていたところでおかしくない。
三〇三号室と思しきサンルームの窓を見上げてみるが、人が顔を覗かせている風でもなかった。虫がとまっているくらいだ。大きさからいって蝉だろう。
(蝉?)
にしては、いやに黒い。と気付いた途端だった。
それが壁を這った。ゴキブリだ。
「い―――!」
ぎょっと固まる。ゴキブリが高速で匍匐前進していったのは紫乃と正反対の方向だったのだが、それでも固まる。
そして程なくして。それが物陰に消えて―――ということはどこかそこらへんの物陰から出てきてもおかしくないってことだよねと引き腰になりながら周囲を警戒すること、しばし。紫乃は、そんなリアクションをしてしまった自分をいなすように、鼻息をついた。
(ただの虫なんだから! どこにでもいるんだから、ここにもいただけなんだから! 別にわたしが来たことにケチつけにきたとかそんなのじゃないんだからね! 虫一匹に幸先悪くされてたまるもんか―――昆虫占いとか昆虫ジンクスなんて聞いたことないし! よし!)
日傘を畳んでカゴバックにしまってから、アパートの玄関に踏み込む。紙袋は、カゴバックと一緒に腹の前に提げた……万が一にでも、ぶらぶらさせていたせいで壁にこすりつけたりしたくなかった。そうなったとしても中身のサンダルは無事じゃんよと葦呼なんかは言うだろうけれど、そうしたくないということこそ大事なのだ。これは。
急な階段を上り出す。コンクリート製の階段の踊り場の空気は、真夏の午後の盛りだというのに、どこか冴えた温度をしていて紫乃の汗を冷ました。ちょっと立ち止まって、手櫛で前髪からこめかみまで撫でつけてから、再び三階を目指す。鼓動が高鳴り出す前に、無事にその階層に到着した。誰もいない……虫も、死骸以外は一匹もいなさそうだ。
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