「ええと。あの」
少し及び腰で両手を口の前まで持ち上げて、おたつきながら小杉が口を開く。たおやかに伏せた眼と、それを痛ましげに彩る睫毛の紫紺の影は、紫乃から見ても絶妙な色気があった。それが狙いだと分かりやすいのが難点だと思えたが、美点だと思わない男だっていないに違いない……過去にどれだけ攻略を重ねてきたものか、小杉は素振りに相応しい弱々しさで、己の無垢と無邪気と無罪を訴えていく。
「違う、ちがっ、違うのぉ。あたし、ほんとに先生のこと想うと堪らなくて、我慢できなくて……」
そこで小杉が、言葉を切った。麻祈の双眸にひとかけの体温でも宿らないかと期待したらしいが、期待はずれだったことは即座に悟ったらしい。訴えかけの濃度が増した―――言葉の数や抑揚だけでなく、身ぶり手ぶりも切実に。
「最初にデートした時から分かってました。だから、先に分かっちゃったから。先生から気持ちを言ってくれるの待ってたんですけど、この人があたしと違ってメソメソした手で先生の優しさにつけ込もうってしてるって聞いたから……それで……我慢できなくって、―――」
いつしか紫乃も、席から腰を浮かせていた。
麻祈は無言だった。ただ今は、言葉を隠している瞳の色をしていた。それが口から零れ落ちた時、“彼が麻祈になってしまうと”―――
思えた時には、もう遅い。
黒瞳が覆われた。目蓋ではなく、黒髪で。頭を下げたのだ。
「申し訳ありません」
辞儀を固めて、言ってくる。
「俺が招いてしまった今現在の事態について、誠に申し訳なく思っています」
そして、身体を起こし、顔を上げた。こちらへ視線を流して、最後に葦呼を見た。静かな声と沈んだ眼差しは、まるで聖書を読み上げているようで、そのせいか物腰にもある種の敬虔さまで感じてしまう―――殉教する牧師でもないのに。ないのか?
ぞっとしながら、紫乃は不吉を予感した。
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