「俺が知ってるお母さんは、文通相手として、だからなぁ」
「そうなのか?」
「ああ。親は、俺にとっては、爺ちゃん婆ちゃんだからさ。お母さんは、うちに里帰りしたらしたで、なんだか近寄りづらかったし」
「そうだったのか?」
「そうだよ。爺ちゃんも婆ちゃんも空気変わるし、お前はこっちに来た当初は赤ちゃん返りしてたし。はゆぅは……はゆぅだったし」
「まあ、最後のは疑いないところではあります」
とても似通った目で虚空を見上げて、納得ずくの声音で同調する。
それから麻祈は、あまり納得できない部分へと言及した。
「てか。え? 赤ちゃん返りしてました? わたし」
「『わたし』よりも『俺』」
「……こっちも全部I(アイ)ならいいのに……」
「してたと思うけどな。あれは多分。赤ちゃん返り。……覚えてないのか?」
「残念ながら」
「マジかよ。お母さんにあんなにベッタリだったくせして?」
「わた―――俺が、一番覚えてる母親のイメージは、痩せこけた病人像……かな。おそらく、あのインパクトに圧倒されて、他の思い出がノックアウトされちゃってるんじゃないか? 一緒に暮らした時もあったはずなのに、どんな会話したとか、ちっとも覚えてない」
「歌は?」
「うた?」
突拍子もないことを聞かれて目を見開くが、兄は弟の反応こそ埒外だとばかり声を強めてきた。
「歌だよ、歌。ソング。ハミング。お母さん、そっちに癌治療の本腰を移してから、俺にはエアメールじゃなくて録音テープを送るようになってたからさ。会話してるやつや、こっちに話しかけるようなやつだけじゃなくて、歌を口ずさんでたのもあった……ものすごく穏やかにさ。日本の病院じゃ歯ぎしりしながらのた打ち回ってたから、ホスピスってすげーって驚いた。これはどうだ? 覚えてないか?」
「……そういや、お母さんって癌で死んだんだっけ」
「そこから?」
今度こそ肝が冷えたらしい。桜獅郎は凭れていた卓袱台から上半身を跳ねあげると、どこか恐る恐るといった風に麻祈を覗き込んできた。
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