. 段の家にある板張りの廊下のことを『鏡通り』と呼んでいた子どもの頃を、思い出す。
木綿袋に入れた米糠で丹精込めて磨き抜かれた古木は、顔が映るほど澄んで艶やかだった。昔は日本の首脳陣だか報道陣だかも歩いたと言う由緒ある品らしかったが、あの頃には羽歩が顔面から突っ伏して鼻の頭のあぶらをつけて遊ぶという退屈極まるレジャー場として活用されるのが専らで、麻祈としては子どもながらに複雑だったのを覚えている。由緒ある品なら、その由緒こそ守らないと単なる中古品なんじゃないの? と。
あの居心地の悪さは、今日は薄い。廊下を走る者は今はおらず、それを叱責した偉丈夫も今はいない……そして、それ以上に、現在の麻祈の五感に馴染む要素がある。空気だ。悪臭ではない。ただ、病んで死にゆく人の気配が臭う。冷え切った室温のせいで、院内のそれほどには気にならないが。鼻につくと言うなら、古びた生活臭の方が実害がある。
襖を開けると、畳敷きの部屋で祖父が布団に寝ていた。
彼が、目やにの付いた目蓋を開いて、麻祈を見る。それは、医者を見る目でもなければ孫を見る目でもなかった。慣れるまではしばらくかかったし、慣れたところで不快だが、割り切って見詰め合う。
背後にいた兄が麻祈を追い越して、祖父の枕元へ座った。麻祈には分からない方言で声を掛けて、身体を助け起こして座らせる。
その正面に正座して―――実のところは、椅子暮らししかしてこなかった麻祈は足首の関節が硬く正座が出来ないので、足の甲ではなく足の指を支えに尻を落ちつけていたのだが、とにかく体面だけは正座した風に装って、祖父へ向けてこうべを垂れた。和服の襟ぐりから、茶ばんだ地肌がたるんでいるのが見えた。白目の黄染は顕著ではないと思えたが、皮膚のこれが黄疸ではないという確証もまた麻祈には無い。あとで兄に、血液検査の結果を見せてもらおうかと思う。あとで覚えていたら。
そう。目下の問題もまた、そこではないのだ。
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