「ただいま」
「おかえりなさい」
意外なことに、返事があった。
時刻は、夕刻前の昼下がり。紫乃は、玄関でぽけっとしてから、家に入った。会社の制服姿のまま台所に行くと、母が洗い場で買い物袋を広げている。遠目に、ひげが生えたニンジンが見えた。
「お母さん。パートの勤務、早上がりだったの?」
「あんたこそ」
振り向きもせず言ってくる母の手元から、食卓でいつも自分が使っている椅子へと視線を転じて、紫乃はそのままそちらに回り込んだ。その間も、会話は続いている。
「わたしは、こないだ電話番で居残りした分、今日は早く上がってって言われただけ。残業代につけたくないんだって」
「そう。だから、もうお帰りなの。にしても、こんな時間から顔を合わせるの、久しぶりね」
「言われてみたら、そうかも。疲れてない? なんなら夕ご飯、わたし作ろっか?」
「いいわよ。もう買い物してきちゃったから、お母さんの手順でやっちゃうわ」
「ふーん。そう」
となると、することもないのだが。なんとなく、そのままテーブルの定位置の席に腰かける。
腰かけてしまっては、冷蔵庫にお茶を取りに行く気も起こらない。ましてや、着替えに行くのなんて、後回しでいい……会社支給の夏服はスカートとベストとリボンタイだけで、ブラウスやストッキングは自前のものなので、これから改めて着替えると洗濯物が増えるだけだ。風呂を済ませてパジャマになるのが最も効率的だ。
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