. 麻祈と違い、ちょこまかと動き続けていた。ビニール袋に料理を包んで、箸をテーブルに戻す。最後にその袋と鞄を両手に提げて、席から立ち上がりながら、問うてきた。とんでもなく明快な摩訶不思議を。
「およ? その話、喧嘩でもしてからまた考えよって、あん時に決着ついたじゃん。忘れたの?」
「……忘れてたかも」
「する? 今から」
佐藤に道を空けるため、麻祈は半歩ほど横へずれた。それを切っ掛けに、現世(うつしよ)を取り戻す。髪をかきながら、嘆息するしかない。
「……三つ巴のチャンバラを目前に、お前とまで喧嘩? 寝言ぬかすな(No drivelling.)っての。したことないから、俺らにとってどういった状態を喧嘩と定義するのかとか、そこらへんの仮説検討から手をつける必要があるし」
「あー。そうだったね。あたしこそ忘れてた。それ。なら、そっちはまた次の機会にってことで」
「そうだな……そうなるな」
それで、お開きだった。
.
結局、佐藤はタクシーで帰宅することになった。乗っていけば? との車の後部座席からの誘いを「あんがとよ(I'm straight.)」で断り、別れ文句も「んじゃな(Byeya.)。グッスリ寝ろよ相棒(Sleep tight buddy.)」と続け、もう英語しかうろつかない困憊した肢体に鞭打つように、徒歩で帰宅の途につく。麻祈は、肥満しては都合が悪い身体だ。常日頃からカロリー消費を心がけていなければ、ダイレクトに右の股関節へと負担をかける。
不意に、右足から転びかけた。我知らず、つま先が上がっていなかったらしい。
転倒したわけではないし、抄録集やシャツを落としたわけでもない。だから、そのまま進んでもいいはずだった。それでも、足を止める。
深夜。さびれた地方都市の歩道。そこに立ち尽くすのは、自分の肉体と電信柱。コンクリートの支柱に括り付けられた蛍光灯が、点々と、力もやる気も無い灯明で夜闇を焼いていた。うらぶれた薄暗さを眺めていると、つと思い出す―――院内地下にある職員用個別浴室にて、自分ひとりだけで使い勝手が分からないまま勘で操作したシャワーが暴走し、急激な熱湯に蒸れ出された湯気と錆び水の臭気にパニックと悪心・嘔気をもよおして、たまらず逃げ出した事故のことを。
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