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きみを はかる じょうぎは ぼくに そぐわない

 本作品は書下ろしです。また、この作品はフィクションであり、実在する個人・地名・事件・団体等とは一切関係ありません。


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.深いところで爆ぜる脈を膚(はだえ)に聞きながら、紫乃は音を立てないようにドアを開けた。窓辺から夕日が差しこんでいる室内は、電灯が消されていても、家具の色が判別できるくらいには明るい。息を殺しながら、半歩ほど踏み込む。

 麻祈はこちらに背を―――ちゃんと服を着た背中を向けて、床にしゃがみ込んでいた。こちらに気付きもせず、ごそごそと作業している。そっと身を乗り出すと、彼が両腕を突っ込んでいるものが見えた。段ボール箱からびろびろと布がはみ出した塊だ。見た印象は、言うなれば、そう……メートルサイズのカラフルな巨大イソギンチャク(陸棲)に、生き餌を素手でねじ込んでいるような……

「うひょええええぇぇぇっ!?」

 耐えきれない悪寒に声が漏れてしまうと、さすがに麻祈も気付いてくれた。屈身したまま、こちらに肩越しに振り返ってくる―――薄暗い部屋、表情のない半眼で、しかもまだ両手は怪物(仮称)に突っ込んだまま。

 支柱にカゴバッグを抱きしめたまま立ち尽くして、紫乃は震え声を絞り出した。

「なんですかそれ!」

 彼が、物憂げに返事をひねり出す。

「―――バァスケ―――」

 そう聞こえた。だけ。

 紫乃は、停止した。

 そして、しばし。身体は駄目だったが、とりあえず思考は再開した。

(バスケ?)

 球技の?

 麻祈はまるで疑問などないように、ぶっきらぼうに念押ししてくる。

「らンドゥぃイーバァスケっと」

 押された念のありどころが分からない。って言うか、分かるような音をした言葉じゃない。

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.途端に、不安に背筋をつつかれる。温かく膨らんでいた胸の下は、今は水銀でも流し込まれたかのように重苦しくて、掌を返したようなそれがこの上なく毒々しい。

(あれきっと、お風呂入ってたんだよね。無理矢理あがらせちゃったのかな……にしても血色悪そうだったけど、それってちゃんと湯船につかれないうちに、わたしが来ちゃったからだったりするのかな……)

 そう言えば、麻祈を奥に追いやってからかなり経つと思えたが、一向に音沙汰が無い。声どころか物音ひとつ聞こえてこない。ひそめているのだろうか? ひそめる必要があるものと言えば、悪態だろうか? それも尤(もっと)もな話だ。不要なものをわざわざ届けると強引に押し切っただけでなく、休憩に費やされるべきバス・タイムまで中断させる奴など、よくよく省みてみれば新聞の勧誘以上にはた迷惑な相手ではないか。ええ、玄関に居座られて本当に参ってるんです―――もしもし―――

(電話!?)

 その可能性に行きついて、戦慄が走る。跳ねた背筋を悪寒に聳やかされて、紫乃は生唾を呑んだ。

(いやいやいやわたし新聞の勧誘じゃないから新聞の小売店に告げ口されたところで痛くも痒くもないし! わたしと麻祈さんの間に立ってくれる友達なんて葦呼っきゃいないから! 葦呼っきゃいないんだから、そんな直通で電話が通じることなんて滅多にないし、それ以外に直通で繋がりそうで問題解決してくれるとこなんか―――)

 警察。

(通報!!)

 青ざめて、紫乃は泡を食った。

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.以前に訪れた時と同じく、小さな玄関から、奥に伸びる廊下。廊下は一メートル半ほどして八畳間に繋がっているが、その間を合板のドアが閉ざしている。玄関戸に張り付いた紫乃とちょうど対峙するかたちで、麻祈もまたそちらのドアを背に立ち尽くしていた。電灯は消されていたのだが、麻祈の背後のドアの中央に透かし窓がついているらしく、そこから差し込んだ陽光が充分に代役を果たしている。まず見えたのは、スリッパを引っかけた彼の素足が、ずりさがったズボンの裾を踏んでいることだった―――ベルトすらしていない。て言うか、ズボンがベルトを締めることが出来る構造をしていない。ジャージだ。そして、上着は無い……肌着すら無い。あるのはうなじから前に引っかけたタオルだけで、それだって彼の上背には小さ過ぎる。現に、引き腰になった麻祈がわたわたとタオルを広げて身体を隠そうとしているのだが、まるで天むすの海苔のような面積の足りなさだ。そんなこと、紫乃がみても一目瞭然だ。麻祈など当人なのだから知り尽くしていただろう。なのに、

「ど、どうして外に出たんですかっ!?」

 がなり立てるのだが。

 麻祈の返事は、まるで暖簾に腕押しといった静かな声色で、

「どうしてって。日本の呼び鈴が鳴ったもので」

 とまあ、内容もとんちんかんとくる。

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.声帯どころか身体も居ても立ってもいられなくなって、とにかくドアに突進する……両手を突き出して、度しがたい現実もろともドアを押し戻そうとする。だって、こんな筈ないのだ。まさか彼にも半休を費やして身づくろいして毛づくろいして待っていて欲しかったわけではない―――と、寸前までは断言できたと思う。もう無理だ。だったらせめて、見せかけでも、無かったことになって!

 必死だった。懸命だった。だから勢い余って、ドアから滑って麻祈に正面から突っ込んだ。

「ウォウ、さかた―――」

 今更、ぼんやりと彼が驚いてくる。

 今更だ。本当に今更だ。くっつけてしまった指には筋骨の弾力と素肌の湿り気を感じているし、そこに間近な鼻先には水のにおいを嗅いでいる。つまりはどういうことなのか、衝撃に閉じてしまったこの目を開ければ、全貌が明らかになってしまう。こんな明るい屋外で、誰かに見られるかも分からないのに―――その上、その“誰か”が、彼女自身であるなんて!

「はは入って入って入って入ってえ!!」

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「……―――」

 念のため、もう一度髪の毛に手櫛を一巡させてから、取り出したあぶらとり紙で要所要所の難敵を駆逐する。カゴバッグに丁寧に紙袋を収めて、肩に掛けてから、出来てしまっていた服の皺を払った。

 そして、三〇三号室へ。たった数メートル廊下を歩いただけなのに、階段を駆け上がるよりも動悸がする。寄り上がる緊張に、目の奥が痛くなってくる。喉だってカラカラだ。ああいけない、このままだと折角の口紅が乾いてしまう―――

(―――……ああもう!)

 噛み痕が付かないように下唇の内側を噛んで、紫乃は意を決した。そのドアの、インターホンを押す。

 さっと引っ込めた指で前髪を直しながら、紫乃は待ち侘びた。待ち侘びるくらいなら、どれだけでも出来た。ドアの向こうから聞こえ始めた物音が、今にも生身となってドアを開けてくれようとしている。

 であれば、きっと、ドアを開けてくれたなら。彼はちょっと仕事疲れでくたびれた表情をほほ笑みで誤魔化そうとしながら、夏らしい薄着の襟を正すに違いない。更には、目を伏せる。そして、やや恥を含んで、口ごもる。ごめん、普段着なとこ見せて……

(いやいやいやいや無い無い無い無い無い!)

 目まぐるしく湧いて出る白昼夢を、モグラたたきのように潰し終えた刹那。

 内側より、開錠する音が響いた。ドアが押し開けられてくる。咄嗟に、ドアの影に隠れてしまう。

 ドアは蝶番を支点にゆっくりと円弧を描いて、壁から垂直になる前に止まった。
陰から伸びた素手が、ドアのへりを掴んだ。声が聞こえる。

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プロフィール

HN:
DNDD(でぃーえぬでぃーでぃー)
年齢:
17
性別:
非公開
誕生日:
2007/09/09
職業:
自分のHP内に棲息すること
趣味:
つくりもの
自己紹介:
 自分ン家で好きなことやるのもマンネリですから、お外のお宅をお借りしてブログ小説をやっちゃいましょう(お外に出てもインドア派)。

 ※誕生日は、DNDDとして自分が本格的に稼働し始めた日って意味ですので、あしからず。

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