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きみを はかる じょうぎは ぼくに そぐわない

 本作品は書下ろしです。また、この作品はフィクションであり、実在する個人・地名・事件・団体等とは一切関係ありません。


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 その地味な痙攣も過ぎ去って、しばし。彼が、壁から離れた。虚ろな陰影は拭いきれていないが、それを朗らかな笑みで埋め直して、目の下の隈を紛らわせることにまで成功している。

「……ええと……それでしたら、諦めるのでなく。また今度ということで、いかがでしょう? 料理」

「え?」

「今日は、俺と外食しましょう。坂田さんお手製の食事をご馳走になるのは、また今度ってことで。俺、どうせなら美味しいものを食べたいんです」

 どうせ美味いものを作れるはずがなかろうと言外に聞こえてきた気がして、どうしても心がささくれた。ぐっと堪えて噛み締めて、揚げ足を取りにかかるせりふに文字通り歯止めをかけるのだが、紫乃のその口周りの動きの方がはるかに雄弁だったらしい。麻祈が、発言を取り繕うべく、またしても言ってくる―――口八丁で篭絡するために。またしても。

(絶対きいてやらない)

 決心する。


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.驚いて、音源を振り返る。背後だ。麻祈が片手で、己の頬を押さえていた。どうやら、ビンタしたらしい―――壁の虫にそうするように、自分の横顔を。

 ただしその表情は、あたかも素手で害虫を握り潰すしかなかった直後のような胡乱さに満ちていた。疲れ果てて肩を落とし、眉と口の端を下げ、重たそうに瞬きして……この数十秒で、どことなく輪郭までも肉を萎びさせたように思える。まさかとは思うが、―――言葉を、投げかけてみるしかない。

「ご、きぶり、素手で、やっちゃったのかと、思いました……」

 返事は、こうだ。

「……例え話として、実に惜しい……」

「おし、惜しかったんですか!? ニアミスったんですか!? 手!!」

「ははは。あはははあ。そんなわけありませんですよぉ。ははは」

 へらへらと、平坦な声で笑い飛ばしてくる。

 それも束の間だった。顔を押さえている掌の下で、さっと表情が塗り変わる。それが喜怒哀楽のどれなのかは、分からなかった……分かる前に、彼が唾棄した。恐らくは英語で。

「ごゥファっキュアセル―――ディっく!」

 そして、壁に頭突きする。

 がん! と衝撃と激突音が過ぎ去ってからも、そのまま壁にぐりぐりと額を押し付け続ける。引き攣った五指が、捕食に備えた大蜘蛛の脚のように、尖端をきしきしと壁面に突き立てていた。

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「このへんとか、這い上がられた経験、あります?」

 言ってくる。紫乃の手を、棒の先で軽く突いたまま。

 悪ふざけだ。負けるわけにはいかない。連想は続いてしまうとしても。

 言い返してやる。

「いいえ」

 もっと言い返す。そのはずだった。

 小指の付け根の感触に動き出されて、言葉が散った。這い上がってくる―――

「このへんは?」

 手首。肘。二の腕。半袖の袖口―――の、中。

 肌の外ではなく、内側のふかいところが粟立った。悪寒とは異なる生温かい戦慄に、今までにないような恐怖を覚える。たまらず紫乃は、ばっと腕を胸倉に引き戻した。その場からも飛び退いて、片腕を抱きしめる。さすってみると、知り尽くしている自分の腕でしかないのだけれど。

 だからこそ寸前の感触が気味悪い。それを植えつけてくれた張本人は、こわごわと見上げられた途端にばつの悪さが芽生えたようで、両手を降参のポーズに掲げていた。持ったままだった菜箸をミニキッチンに引っ掛け直して、それでもまだ紫乃が牽制し続けているのを見て、微苦笑を明確な苦笑に変える。

「ね。やめときましょう。今のだけで、想像するのも嫌になっちゃったでしょ? 俺だって、袖口から脇の下にインされてからは、もう懲りちゃって、」

「やめません」

 告げる。

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.言いながら、麻祈は軽く嘆息した。落胆は紫乃でなく、あくまでミニキッチンに向けられている。その眼差しで、問いかけが分かる。ほら、こんな場所なのは誰のせいでもないんだから、お互いに利用しようじゃないか?

「陸(おか)に上がった河童って諺もありますし。というわけで、残念ですけど、」

「いいえぇ! そんなのじゃ諦めたりしないんだから」

 決意を固めるように、紫乃は髪留めに手を回した。一瞬、後ろ頭の上の方で髪の流れを整えるために鏡の前で格闘した分数が脳裏をよぎるが、それでも取り外してうなじに束ねる。首の裏で手を組むような姿勢になっていた。

 だから腕を下げた時になって、こめかみまで顔を寄せられたことに気付いた。

「正直言うとね。ゴキブリ来るんです。その台所。おいしいものを時間をかけて作ると、特に」

 言われて、なお動けなくなる。言葉混じりの吐息の感触が耳から消えるまで。

 消えてしまえば、言われた意味の方が、身体を縛った。ついさっき、アパートの外壁で蝉と勘違いした時と同じように。

「こわい? こわいんだ」

 とにかく必死に、紫乃は首を振った。ふるふると、横に小刻みに。

 にやついて、麻祈はこちらへと捻っていた上体を戻した。

 そして、腕を組む。首を逸らすようにドアの枠にもたれて佇む様子は、料理人が弟子を遊び半分に指南するそれのようだったが、目端に宿った陰険な笑みは不釣合いなまでに無邪気で幼い。からかっているのだ……ただし、目の光にまでは、笑いは差されていない。核心のところは笑い飛ばせやしない真実なのだと、暗に告げている。ざらりとした不穏な雰囲気も、ぞっとしない虫の逸話も。

 洋間の冷房は今までずっと廊下に流れ込んできていたはずなのに、一気に風量が増した気がした。

 それを無視すべく、まるで独壇場で演説するように両手を台についたまま、紫乃が目線を前に固めていると、

「半熟卵の親子丼とか、手を離せない時に限って、でっかいのが一匹やって来ましてねえ」

 呟きつつ、麻祈がミニキッチンの水切り棚に手を伸ばすのが、視界の端に映った。取り上げたのは、菜箸だ。そして、なにかを摘むには大袈裟な威力で、それを使ってみせる。打ち鳴らされた箸の先端から、かっ・っか、と音がした。

「料理中だと、噴霧タイプの殺虫剤も使えないでしょ。油断してると―――」

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.洋間から玄関までの短い廊下に併設されたミニキッチンに、ばん! と両手をつく。そのすぐ横、洋間のドアの蝶番に寄り添うように立ち止まった麻祈を見上げて、紫乃はまくしたてた。

「わたし、お料理は得意なんですから! お母さんとかお姉ちゃんにも褒められるし―――」

「だからです」

「え?」

 否定されると信じていたところに肩すかしを食らった隙に、麻祈が横に倒した拳から親指を立てて、ミニキッチンを示した。

「料理慣れした奴こそ、料理するのに不向きなんですよ。うちの台所、ほんと独房って言うか、日本人向きの単身者用で。俺ですら、菜箸の先っちょとか手首とかが事故に遭う回数に耐えられず、こまめな自炊を挫折したんですから」

 狭い。

 こうして見ると、ますます狭い……親指に唆されるまま、紫乃は改めてミニキッチンを観察した。ふたり並んで立てない幅、肘を乗せれば壁に触れる奥行き―――言うなれば、小学校の時の学習机くらいしかない面積だ。その左半分が一口IHコンロで、右半分が流し台になっている。流し台の真上には作り付けの水切り棚が下げてあり、ちょうど紫乃の目の前に、食器とまな板と包丁が引っ掛けられていた。

(こんなところで、どうやって支度を……?)

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プロフィール

HN:
DNDD(でぃーえぬでぃーでぃー)
年齢:
17
性別:
非公開
誕生日:
2007/09/09
職業:
自分のHP内に棲息すること
趣味:
つくりもの
自己紹介:
 自分ン家で好きなことやるのもマンネリですから、お外のお宅をお借りしてブログ小説をやっちゃいましょう(お外に出てもインドア派)。

 ※誕生日は、DNDDとして自分が本格的に稼働し始めた日って意味ですので、あしからず。

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