(あ、あさきって苗字じゃなかったんだ……男の人、名前で呼んじゃってたんだ。うわあ恥ずかしい! ―――って、あさきが名前なら苗字は? ええと)
それを思い出せない。さっきちゃんと聞いたはずなのだが、浅木に一点集中していたせいで、他には陣内しか覚えていなかった。
どうしようもなく、お隣さんへと声を掛ける。
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「すいません。あの。すいません」
「え?」
まさかの方向からのアプローチに、ぽかんと振り返ってきた彼女のまなじりに拒絶の色が無いことを窺ってから、紫乃は質問した。
「ごめんなさい。そちらの方。先生。名前、なんでしたっけ?」
「アサキだって、今、陣内さんが言ってましたけど。布の種類の『麻』に、祈祷の『祈』で」
「名前じゃなくて。あの。苗字の方」
「だん・でしょ」
「ダン?」
「うわ」
そこで相手は、目の色を変えた。実際そのカラーコンタクトが変色したかのように、瞳の感情が、苛立ちと軽蔑に塗り変わる。
「マジ信じらんない。ホントなんも聞いてなかったんですか?」
「ごめんなさい」
「『ダン』ですよ。苗字。階段の段」
「め、珍しいですね。段なんて。初めて聞いたかも」
「だーかーらーぁ。そーれーもぉ」
彼女は、加速度的に言い立てていった。同時に相好へと注されていく朱が増量されていく様子は、まるで生体稼働率を示すバロメーターを見ているみたいだった。
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