「社長」
「うん?」
「もしかして、上野さんに、こう言ったんですか? ―――」
紫乃は、確信をもって“代弁した”。
「今のあなたは、その人に、言うべき言葉があるのを知っているでしょう?」
ひとつ。ふたつ。呼吸を数えるごとに、みるみると仰天した顔つきを露わにして、社長が喉を鳴らした。
「こりゃ驚いたよ。ご名答とは……いや、一文字違わずではないが。凄いな」
大きく息をついて、どこか上目遣いで紫乃を覗き込みながら、問いが続く。
.
「どうして分かったんだい? 君のような若い子の知り合いに、わたしのような昔堅気がいるとも思えないのだけれど」
「います」
「ほう。それはそれは」
そこで社長は、にやりと口の端を上げた。
「イイ男でしょう?」
「はい」
こけにされるべきオヤジギャグを真っ当に肯定され、肩すかしを食らった社長こそ、スーツの中でちょっとだけ肩をコケさせたのが分かった。
その日も紫乃は、いつもどおりに働いた。働くだけでなく、仕事を実感し、食事前には空腹を覚え、世間話に共感した。帰ってきた……自分がここにいなかったことを知ることが出来たから、帰って来ることが出来たのだと、取り戻せた日常が身に沁みた。
昼休みに入ってすぐ、紫乃は麻祈に電話をした。その時は繋がらなかったが、折り返しの電話があった。上野と社長との顛末を話すと、彼は穏便な喜びを見せた。解説にまごつく紫乃をせっつくことのない、見守るには最適だと思える控え目な態度だった―――そう思える。それはもう、最適な。
それこそが奇妙だと紫乃が気付くのは、しばらく先のことになる。
だから今はただ、喜び勇んで麻祈に電話をかける日々が始まる。
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