「あの時、君は、意識不明の人がいたから救急車に助けを求めようとしたそうだね。それは正しい。間違っていたのは、君への、上野君の当てつけだ。それは病気のせいかもしれないが、当てつけられたことそのものは残るし、君がそうやって傷つけられたのには変わりない―――だからこそ、傷を負ったからと、臆病風に吹かれたままにならないで欲しい。坂田君は、坂田君らしくしていて欲しいんだ」
「わたし、らしく?」
「そうだ」
答えあぐねている紫乃を、社長が鷹揚な首肯でもって保障してくる。
「わたしはね。採用面接した時から、坂田君らしさを、とても重宝しているんだよ」
「ええと……わたし、なにかしましたでしょうか?」
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「お茶請けに出した小さな饅頭と、それを出したわたしら。どちらにも、いただきますと手を合わせたんだよ。君は」
丹念に記憶を探るものの、そんなことをしたのか、これぽっちも覚えていない。まあ、自分ならば、あり得る話だとは思えた。祖父母の遺産である坂田家の鉄則の効果は、いついかなる時もフォーエバーである。ガラの悪い連中と懇意の絶頂期にあった高校中頃の姉でさえ、夕食の時間には帰宅したのだから。
まあ食べてから家出するんだけど……とまで思い出してしまって、こめかみにひと汗かきそうになっている紫乃に気付いていない様子で、社長は言い足していく。
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