「坂田君。ちょっといいかい? 話をしよう」
「は、はい!」
紫乃は、社長室へと手招きされた。
室内は、紫乃が採用面接された時から、模様替えさえされていない。ブラインドが下げられた窓がひとつ。テーブルを挟んで対になっている二人掛けソファーがあり、その向こうには社長机と椅子だ―――どれもさほど高価なものではなく、元は小学校にでも置いてあったのを下取りしてきたのか、取っ組み合いの喧嘩に巻き込まれてきた暦年を物語るようなキズや窪みが修理しきれていない。金をかけてまで修理しようとまでは思えない。そういった備品だ。
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その机の縁(へり)にある油性マジックの消し残しに、ちょうど指先をかぶせるように佇んで。デスクの向こうから、社長が紫乃へと身体の正面を向けた。先月、六十代に入ったばかりだったか? それにしては血色のいい顔だと思えたが、今ばかりは峻厳な気配を注して、歳相応の貫禄を発揮している。
「誰かから知らされてるかも知れないが、おさらいのつもりで聞いておくれ。……君に上野君を見舞ってもらった、あの週末。あれから数日、上野君は体調不良を理由に会社を休んだ。それは知っているかな?」
「いいえ」
「ふぅむ。なら、その後日、寮に帰ってきた大家がわたしのところに相談に来たのも知らないな? 君は、ここ暫く、仕事に打ち込む以外は随分と上の空だったようだから―――わたしの眼も、さほど節穴じゃないねぇ。うん」
それに満悦するでもなく、社長は話を戻した。
「大家は、自分が留守の間に寮の住人の中で騒ぎが起こったらしい、あの仮雇用期間の社員の部屋でそうなったらしいがどうなんだと、わたしに言うわけさ。毎月一回はこんなことがあって苦情が寄せられるたびに注意してきたんだが、今回のは聞くだに弩級過ぎる、いっそ追い出すべきかも……とね」
「っ―――申し訳ありませんでした!」
話の流れに矢も楯もたまらなくなって、紫乃は弁明を口にしていた。
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