「余地……とは、なんですか?」
まさか小娘が食いついてくるとは、露とも思っていなかったらしい。社長は驚いたように目を見開いてから、それ以上に目蓋を下ろした。そうして、半眼の裏で叡智を探しながら、
「物事を正当化するための後付けの嘘―――言い訳、それを ねじ込める、破れ目だ」
結局口にした答えは、彼らしく、のどかに朴訥としていた。
「確かに、正しいことをするのが、いいことをするのとは異なる場合もある。それでも、いけないことはいけないし、悪いことは悪いんだ。そこに理屈をつける余地があると、ああだからこうしたんだと、屁理屈を整える。その回路が整うと、その人は何回同じ状況になっても同じ屁理屈を繰り返す。リピートされるうちに周囲もそれが屁理屈でしかないことに気付いて、言い訳に終始するのを恥ずかしい姿だと思いはするが、大抵は指摘しない。恥をかいているのはその人であって自分でないから、波風を立てずに過ごそうとしてしまうんだ。そして、その人は恥をさらすだけじゃなく、いずれ恥知らずと言われるようになってしまう。指摘しなかった、大勢の恥知らずたちからね」
.
そこで、社長は嘆息した。さすがに喋りつかれたらしい。そもそも口達者でない部類に属する彼からしてみれば、この長広舌は苦行に近いのかもしれない―――ただ、そうして苦行と徳を積む僧侶と同様、社長も話を絶やすことはなかった。
「それは日常茶飯事ではあるが、目クソ鼻クソを笑う日常的な茶番劇でもある。後者を見逃せないのが、わたしのような時代遅れの頑固ジジイだ。それでもねえ。もしかしたら、誰も知らせないから恥知らずでいるだけなんじゃないか、わたしが声を出せば恥知らずを終わらせることができるんじゃないかって思うと、つい声や手がでちゃうんだよねぇ。ポリシーでもないなら、やめておけばいいのに。ついつい、ね。駅のホームで若者を注意して殴り殺されるってニュースを見るたび、自重した方がいいと思いはするんだけど」
徐々に、独り言へと転化していく社長のうめき声。
それは確かに社長のそれで、あの青年とは無関係だ。世代も風采もなにもかも違う。職種も生活スタイルも異なっているし、だったら似通っていなくて当たり前だ。彼は彼で、社長は社長だ。それでも―――
ふたりを知っている紫乃だから、そう呼びかけずにおれなかった。
[0回]
PR