.橋本は、真に受けるでもなく、受け流した。予想通りだ。それが続く。だから、こちらも続けられる。
「そのかわりに、覚えておいて欲しいことがあるんです」
「ラジャー。なに?」
「さっきの噂、―――」
そして淡々と、麻祈は口調と真逆の内容のせりふを読み上げた。
「変に長引いたらムカつくのはそっちだろうからこっちが三こすり半で勘弁してやってんだ。あのオットセイの鳴き声で喘ぎ声のつもりなら演技力でも玉の肌でも磨き直して出直してきやがれ大根役者。ってのが、真実です」
言い終えたので、口を閉ざす。
橋元が、こちらの瞳から口許を盗み見た。その目つきは、更なる議論を欲する好色さを宿すでも、反射的な嫌悪をはじき出す清冽さを満たすでもなかった。歳相応に濁った角膜を、たるみ始めた目蓋で掃いて、きょとんとしていた相好を崩す。経験者の疲労を、経験してきたなりにため息に混ぜ込んで。
「……確かに、隠蔽しとくべき真実ですわね。そりゃ」
「それでは午後診がありますので。わたしは、これにて」
そして麻祈は言葉通り、業務に向かった。
それからさほど時を置かずして、佐藤から打診があった。後回しにしていた、オタク会の再開催についてだった。無論のこと、快諾する。数学学会の抄録集は、自宅に置き忘れていくことに決めていた。
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