.ガラスコップに湯飲みにマグカップ。飲み物用の器なんて、幾らでもある。父親なんてダース単位でビールを買うたびに近所の酒屋からオマケでもらってくるから、坂田家の水切り棚はいつだっててんこ盛りだ。いつだって―――てんこ盛りなのは……
坂田家だからだ。麻祈宅でなく。
元来、坂田家は祖父母も含めた六人世帯だった。祖父母が亡くなっても六人分の荷物を整理しないままでいるから、ふたり分の食器が余っててんこ盛りなのだ。
だとすれば、ひとり暮らし出来る年齢に達してから、単身で単身者向けアパートに暮らす麻祈宅に余る食器がなくともおかしくはない。自分用の箸と、自分用の皿と、自分用の茶碗と、自分用の―――
(かっ、ぷ?)
コーヒーカップ。ぎくりと、それを考える。
(い……いつもこれ使ってるのかな? 今朝なんかも使っちゃったりしちゃったのかなこれ? わたしそれどうなのかなそれ? そりゃ葦呼ん家でも水ごちそうになったけど葦呼ん家にはいくつか食器あるし実際わたしも葦呼もコップで水飲んだしっていうかこんなこと気にするとか中学生じゃあるまいしペットボトルの回し飲みだってどんだけ昔へっちゃらでやっちゃったと思ってるの? え? どんだけ昔だっけ?―――)
「―――あの」
と、麻祈が呼びかけてきた。そして、
「それ、ちゃんと洗ってありますし。俺、本当にそういった病気は持っておりませんので」
あまりに自分の思いと異なったベクトルの注釈をくれてくる。
がっと、俯いていた顔を跳ね上げるしかない。紫乃は、勢いのまま否定した。
「ち、がうんですから!」
「は?」
素っ頓狂に驚いたのも束の間、仰け反らせた身体をもとに戻した麻祈が、またしても疑問そうに眼を眇(すが)めた。
「違うんですか。はあ。じゃあ坂田さん、一体なにが―――」
これ以上、言わせるわけにはいかない。言われたら考えてしまう。言えないようなことを。
テーブルの上からコーヒーカップをもぎ取ると同時に、宣言する。
「戴きます!」
「あ。熱いから気をつけ」
遅かった。
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