「え?」
信じられず、紫乃は声を上げた。上野は、まだ身じろぎすらしない。顔はのっぺりと無表情。変な手先の横向きの寝相で、呼吸を繰り返しているだけだ……だけで、いい。麻祈はそう言うが。
「脈とかみたり、人工呼吸とか心臓マッサージとかはしなくていいんですか?」
「このケースでは不要でしょう」
「そ、そうなんですか。はー」
天井を仰いで、大息を吐く。
手がこっていることに気付いて、紫乃は携帯電話を持ち変えた。
.
居間と開口したドアから差し込んでくる夕陽に熱(ほて)らされた肌に、乾いた汗の感触を思い出す。そうだ。嫌な汗を、あんなにもかいていたのだ。自分は。……
「とは言え、観察を怠らないで下さい。妙な呼吸をし出したりしないか、救急車が来るまで―――」
「きゅっ」
固まる。まさしく、心身ともに。きゅっと。
そして、その堅牢な金縛りをもぶち破る衝撃に脳天まで劈(つんざ)かれ、紫乃は絶叫した。
「忘れてた!!」
「え?」
「とにかく誰か呼ばないとって思ったら、お医者さんの葦呼しか思い浮かばなくって、葦呼に繋がんないってなったら麻祈さんだけで頭がいっぱいに……!!」
手が震える。体幹から戦慄く。涙が浮かんだ。どうにもできない。もう、どうにもできない。過去だって取り返しはつかない。履歴書に不採用と打たれた自分は駄目だから、救急車だって呼べていなかった。こんな紫乃だから、役立たずだから、救急車なんか思いつきさえ―――
「そうなってしまったんですね。ええ。きっと、そうでしょうとも。そうなってしまいますよ。それで、いいんです」
麻祈の声がした。見下げ、罵り、否定を繰り返す自責の坩堝に。
縋りついてしまう。
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