「どうも。さかた。お久しぶりです。さかた?」
「い、葦呼に繋がんないもんだからー!」
「ああ坂田さん。佐藤葦呼の。先日はどうも。お久しぶりで―――」
「たったたた助けてください! 会社の寮で上野さんが倒れてて、怪我とか血とかはないんですけどぐったりしてて全然もう、わたしどうしたらいいか分からなくて―――!!」
「ため息」
意味不明だった。
.
一秒。二秒。三秒後も。意味不明のままだった。呆ける。
「え?」
「ため息をつくといいですよ。まず手始めに。ほら。さん・はい」
従う。従うしかない。蝋人形なんて見たことはないが、いつか蝋人形を見る日が来たら、真っ先に上野のこの顔を思い出すだろうなんて思えてくる―――こんな非日常の中では、酔狂とも思えるそれこそが正しい気がしていたから。紫乃は、とにかく息を吐き切った。
「吐いた? なら吸って」
もとより、呼吸なんてそんなものだが。
そう思ってから、それを“思い出した”ことに気がつく。
吸気なくして呼気は続かない。伸びて縮まなければ脈は打たない。そうだ。脈を数えることが出来る。数字を理解する余裕がある。
「はいゴックン」
紫乃は、空気を唾液ごと嚥下した。
垂涎しかかっていた唇の端の感触を、舌の先で舐め取る。生ものの味がした。それが分かる。
「呑んだ?」
耳元に、問いかけ。
それが分かる。麻祈だと分かる。
だから、はっとした。意識だけでなく、息も攣った。
拍子に上がってきたげっぷを噛み殺して、紫乃は携帯電話を握り締めた。答える。
「は、い」
「では確認に移ります」
「……は、はい」
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