. 気後れしないでもない。中まで見通せないことなど分かっていながらも、扉中央にあるドアスコープを覗き込んでみる。分かってはいたが、なにも見えない。
(ていうか、これで向こう側から見られてたら、わたし今ほんと怪しさ満点じゃん。正真正銘の不審者じゃあるまいし、さっさとインターホンを押せばいいんだから。それで、社長に報告すれば済むんだから。よし)
きゅっと拳を固めて数秒。そこから立てた人指し指で、紫乃は呼び鈴ボタンを押した。
.
室内に響くベルの音が、こちらにまでかすかに届く。たっぷり一分はそうしてから、再びグーに引っ込めた手を下ろした。呼び鈴の内側。成人女性―――上野―――の質量が動くような、ざわめきはない。音どころか、人気(ひとけ)さえ、ざわめかない。
留守にしているのだろう。そう思う。この時間なら、夕飯の買出しに出掛けていたところで不思議はない。あるいは、夜の外出に向けて、寝貯めを決行しているのかもしれない。……まあ理由がどれであれ、このドアに鍵さえかかっていればいい話だ。ここは、オートロックシステムでなくサムターン式なので、施錠されていたならば、少なくとも上野が直接キーを操作した証拠となる。
深く考えず、ドアノブに手をかける。ひねる。引く。開く。
紫乃は、そのまま凍りついた。抵抗なく開いた。開かせてしまった。
凍りつく―――思考は、吹き荒ぶ……
手を放せ。まずはこの手をドアノブから放せ。それのどこが悪い。確かに放したらそのまま逃げ出すことが出来るけれど、だからといって、それがどうしていけない? いけなくない筈ないだろう。自分は警官でも警備員でも屈強な正義漢でもないオフィス・レディだ。体育の成績だって中の下だ。器械体操の時だけ中の中だった。だから手を放せばいい。ここに求められているのは、マットの上ででんぐり返しを優雅に決めることが出来た小学生時代だけが輝かしい一般女性じゃない―――
(うるさい! 部屋の中の音が聞こえないじゃないか!)
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