「ひッっ」
息を呑んで、それを肺臓から搾るまでの数秒。
その間に、それが首だけでなく、胴体と連なっていることを理解する。上野は、床に横倒しになっていた―――トイレの個室から肩口を飛び出させるかたちで、こちらに顔面を向けている。一瞬でも首だけかと思ったのは、その構図と、首まわりを縁取る長い髪によって、蒼白の細面だけが際立って見えたせいだ。実際、居室の暗がりと暗褐色のトレーナーを着た上野は、蜃気楼のように、顔だけが浮世離れして見える。
「うえ、の、さ」
尻から太腿にかけて質量を感じてから、紫乃は自分が床にへたり込んだのを自覚した。ぶるっと震える。悪寒を感じた。それは、床の冷感によってか? まさかの霊感によってか? よもや、尿意のそれなのか? 漏らしちゃ駄目、こんなとき漏らしちゃうとは聞くけど駄目だから。だから。それだから。漏らさない以外は、どうしたらいい?
.
どうすればいい? どうしたらいい? こんな時って、どうしたら助かるんだっけ? ちびっちゃって、そっと背後に犯人が現れて、自分が第二の被害者になる前に、どうしたらいいんだっけ? 違う。そんなのサスペンスドラマじゃないか。上野が生首じゃないなら、それを助けてくれるのは医療ドラマじゃないか。医療―――医院―――医者。医者!
(いこ)
紫乃は、ポシェットから携帯電話を探った。
(たすけて。助けて。葦呼。助けて)
目は、上野から離せなかった。だから、片目の前にまで携帯電話を持ち上げて、タッチパネルに触れていく。音声発信したい……通話履歴から佐藤葦呼を見つけてリダイヤルするのなんか、いつものことなのに、がたがたと震える指先から、パネルが余計な動作まで感知してしまう。
どうにか操作を終えて、それを耳元に運ぶ。
声が聞こえた。
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