. 高鳴る鼓動が邪魔だ。音なんか、それしか聞こえてこないんだから、とにかく邪魔だ。だったら耳じゃなく、目で確かめないと……室内を覗かないと……
そうする。もうわずかばかり、ドアを開けて、首を突っ込む。見えてくるのは、小さな玄関から、奥へと伸びる狭い廊下。芳香剤の香りの中に、生活臭を嗅いだ。廊下の上には豆電球が点灯されっぱなし。パンプスが一足、横転している。誰もいない。
そしてやはり、なにも聞こえない。
なら、奥では音が聞こえている誰かがいるのか、確かめないと。紫乃は喉笛を吹くために、息を吸った。乾いた舌が粘膜から剥がれてひりつく。呼吸器を焼き上げてくる空気が、そこをこすって痛い。考えろ。それを考えろ。考えればいいじゃないか。二の足を踏む理由はこんなにもあるのだ。そのどれひとつも採用しないでおく理由こそ、ひとつさえありはしない―――
「う、えの、さん?」
呼びかけた。
.
返事がある方を望んでいたのか。無い方を望んでいたのか。それはもう分からない。
ぱた。擬音にしてそのような物音が響いた瞬間に、紫乃は室内へと駆け込む以外のことを忘れたのだから。
「上野さん!」
と玄関でしっかり靴を脱ぎかける己に辟易するが、また履き直すよりも、そちらの方が早い。それを脱いで、踏みしめた靴下ごしのフローリングに、滑りかけた。めげず前を向く。走る。
他ならぬ上野に紹介した物件なので、室内の間取りは否が応でも把握している。廊下。ドアで区切られて、奥に八畳間。そこに備え付けのクローゼット。物干し台があるベランダに通じる掃き出し窓。玄関に続く廊下に並行するかたちで、壁の向こうにキッチン・バス・トイレ。
紫乃は、八畳洋間へのドアを押し開けた。
メインフロアであるここの電灯は消えている。上野はいない。ベッドと、小さい座卓がある―――四つん這いになって、それぞれの四つ足の股ぐらを覗いたところで、あるのは大小の綿埃くらいだ。引かれていたカーテンを開けてみるが、ベランダは無人。明るくなった部屋を見回しても、新たな発見は……
(うん?)
紫乃は、白いテーブルの上に、白いビニール袋が同化していたことに気付いた。
近づいて、その中を覗いてみる。内服薬と書かれた紙袋と、財布がもろとも放り込まれていた。紙袋に印字された処方日は昨日―――上野は、確かに受診していたのだ。薬を受け取って、帰宅し、それから一体、なにが……
クローゼットの中には服と、それに類する用品しかなかった。
水周りへと続くドアを開ける。光が差し込んだ先の床に、女の生首が転がっていた。
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