. 食事は支度してしまったし、これからパジャマを洗濯しても夜までに乾かない。テレビを観賞する気分でもない。漫画を読むという案もあるが、自室の本棚にあるのは読み古したものばかりで冒頭さえ読めばオチまで目に浮かぶくらいだし、新しく購入しようにも、これから化粧してまで買いに行きたいほど夢中の作家はもういない。ランドセルをがちゃつかせていた頃は、仲良しグループ内で一ページずつ漫画を描きっこして交換日記代わりにしていたくらい大好きだったのだけれど。
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漫画と同じくらい親しんでいたはずのその子たちとも、今ではすっかり交友は途絶えていた。昔は携帯電話など、耳をネズミに齧られて真っ青になったネコ型ロボットに匹敵する未来機器だったから、各家庭に一台ずつの置き電話を介してしか連絡が取れなかったのだ……それが、あれよあれよと携帯電話を持つようになって、なったらなったでその切っ掛けとなった部活動伝達やら先生への不平不満やらあそこギリギリ合格圏なんだけど占ってみたら駄目だってと電話口で泣き出したクラスメイトにおろおろするしかなかった間に、旧友の家の電話番号は忘れてしまった。壁に貼られていた電話連絡網も、悪徳業者の情報源になるとかでとっくに剥がされてしまっていたから、連絡する術(すべ)はもう存在しない。電話―――
(そうだった。ケータイ。電源入れるの忘れてた)
そそくさと、紫乃は携帯電話を室内から誘拐して、廊下に舞い戻った。電源ボタンをプッシュして、自動配信されてくるであろう広告メールを削除するために、連続受信に備える。のだが。
唐突だった。着信メロディが演奏を始める。画面に出現した名称を見て、さらに驚いた。それは、名前でなく役職だった。紫乃の勤め先の。
兎にも角にも、電話に出る。
「はい、もしもし。坂田です」
「ああ。休日なのにすまないねぇ。鹿野山だけど。五十六(いそろく)の方の」
「ええ社長。どうなさったんですか?」
バリトンと威圧感に欠けるいつもの声音で、社長がうめいた。
「ううん……ちょっと、坂田君に頼みたいことがあってねぇ。休日手当ても出せないんだけど。それでもいいってくらいの余裕ある? 時間とか。色々」
「はい」
頷く。頼まれれば断れない。暇を持て余しかけていたのだって事実だ。
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