. 今度は現実でもこくこく首肯してから、麻祈は再度ふたつ折りにしていた画面を開いた。メールを見る。それはもう極彩色のオとハとヨと、おはよと動くアニメーションが出た。だからなんで分割して来る?
ぶり返したミステリーに常勝無敗の探偵でも召喚したくなるが、そうなった場合、最初の犠牲者は確実に自分自身だろうと麻祈には思えた。依頼者が死ぬのはありふれた展開なので疑問はない。江戸から東京まで時代と名称は移り変わるとて、セントラル・シティを歩む通行人Aの死角は概ねデンジャラスだ。階段から落ちる。線路に突き落とされる。辻斬り。とにかく生身で焼死だけ勘弁してくれさえすればいい。まあ、依頼者全員そんな末路をサイクルしていたらその探偵こそ死神として警察からのマークを食らうだろうが、そうなったらそいつは殺人代行業者に栄転すればいいだけの話だ。凶器は自分の存在そのものだから、手にするのはブラック・ジャックだろうが綿棒だろうが構わないのだし――― 一般人の父でさえ空港の金属検査にて鼻毛切り鋏で捕まるこのご時勢で、殺し屋の凶器が綿棒で済むというのも天賦の才じゃないか……
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そこまで頭の中をぐるぐると回遊したものの、その間にも二通のメールに追いつかれて、麻祈は逃走を断念した。受信したメールの内容を確認すると、麻祈の起床をからかい気味に促すものと、麻祈が起床するのが望ましい理由が書かれていた……ただし後者は要約すると、早起きしなきゃいけませんと記されていただけである。何故だ。休日に休息するのが何故いけない? そして午前八時は早起きの部類か?
ややこしくなるのを避けるには、日和見に受け流すのが一番だ。麻祈はのらりくらりと返信する間に、カーテンを押しのけて窓を開けた。直接浴びた朝日が目に沁みる。慣れるまで数秒を費やしてから目蓋開くと、見慣れた風景が広がっていた。正面。そこを横切っていく四斜線の車道に、肩身が狭そうに連なる歩道。新旧・高低のべつまくなしに入り乱れた建築群に、すきっ歯じみた点々の売り地と田畑。はす向かいの家の軒先にある鉢植えはいつだって枯れ気味で、だのに出入りする家主は野良猫に餌をやることだけは忘れない……駅からも勤め先からも徒歩十数分、国道沿いにある鉄筋コンクリートアパートの三○三号室は、こうしていつも通り平和にくすんだ田舎町を臨んでいる。
排気ガスもろとも欠伸を噛んで、麻祈は窓を開けっぱなしに、洗面台へときびすを返した。ここは三階だし、それでなくとも日本である。さほど用心することもない。
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