. 父・姉・紫乃の自家用車が並ぶ自宅の駐車スペースは手狭なため―――都会では一台も車がなくても平気らしいが公共交通が貧しい地方では通勤の足は自分で賄うのが道理だ―――、玄関前で紫乃は降車させられた。バックして定位置に入っていく乗用車を涙目で怨みがましく見詰めるが、続いて降りてくるであろう地獄の獄卒(=運転手)自身にそうする心機は惨殺されていたので、彼女の姿を直視するというとどめを待たずに、ずるずると足を引きずって玄関に入る。
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母がなんやかやと聞きたがってコート掛けから私室の前までまとわりついてきたが、それに受け答えする愛想すら無くて、紫乃は曖昧にお茶を濁して追い返した。入室して、ドアを閉める。
ばたん、と背中を凭れさせた合板が外界を閉ざして、そのままずるずるぺたりと床に尻を落とす紫乃の無様さを許諾してくれた。
「…………―――」
呆然と、そのままで、いくらかを過ごした。
明日は週末だし、このまま眠ってしまってもいいかなと思う。着替えもせず、歯も磨かないで、化粧もしたまま―――
駄目だ。着替えなければ折角の服に皺が残るし、歯を磨かなければ虫歯になるし、化粧を落とさなければ肌が荒れる。出来ることをサボってしまうのに際限はない。気付かないまま腐るのは楽なことだ。それは、自覚できるうちに小まめに直しておかないと、みっともなくても平気になってしまう、人類の持病だ。持病は完治しない。ならばせめて悪化させてはいけない。
ともあれ、紫乃は立ち上がった。直立しても、ふらふらしない。酔余は、かなり抜けてきている。パジャマに着替えて、トイレをしてから歯を磨いた。洗顔も済ませる。出かける前にシャワーで流していたから、また風呂に入り直す気にはなれなかった。それを母に告げると、灯油が勿体無いからそういうことは前もって言いなさいねボイラー落としちゃうから、と小言を食らった。
防御のため篭城すべく部屋に逃げ帰ると、姉は入れ違いに隣室へと引っ込んでしまったようである。消灯していた。ドアの下の隙間から漏れる光はない。
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