. 紫乃もまた、私室の中へと戻った。電気をつけて、とりあえず、基礎化粧品を顔に塗る。それから、ベッドの上に散乱していた服や小物を、学習机とその座席の上に移した……よそ行きの服だけはクローゼットにすべて掛け直したが、残されたあれこれの片付けは、明日へ回して良かろう。合コンから持って帰ってきたまま床に放り出していた鞄、そのフリルまみれの腹を掴み―――
くしゃ、と異様な感触を握り潰して。それを黙殺できず、紫乃は鞄の留め金を開いた。
中身は、いつも通りである。ティッシュ。携帯電話。あぶら取り紙。最近はどこの店のトイレにも紙ナプキンが置いてあるので、ハンカチは持って歩かなくなった。その身代わりのように、一枚のレシート。
(あ)
忘れていた。
.
立ち尽くしていた部屋の真ん中で、それを取り出して確認する。レシートの片面には、なんだかよく分からない洋画か任侠映画のタイトルみたいな商品名がいつつと、氷がふた袋、そして“いっとけ・やっとけ・フェスティバル! 毎月、一日~八日まで”との謳い文句が印字してあった。めくった裏面には、爪のあとでくっきりと刻まれた、数字の列。携帯電話の番号だった。
(お、男の人のケータイ。学校の連絡網とか仕事とか以外じゃ、もらうの、久しぶり、かな……)
思い出す。
黒髪黒瞳。中肉中背。日本人。年恰好。ここまでは紫乃と同じなのに、ここからはどこまでも違う。
そつなく喋り、なんなく社交し、きっと彼はこれからも、そうやってこともなげに生きていくのだろう。彼は、麻祈なのだから。
(うわあ。やっぱり苗字忘れてる……けど、まあいっか。もう会うこともないだろうし)
それでも。
紫乃は携帯電話に、麻祈を登録した。あ行の一番上に、彼が表示される。発信はしない。
ぴんと背筋を整えて、携帯電話の液晶画面を、まん前まで持ち上げて。そこに映し出された電話番号へ、紫乃は深々と一礼した。
「麻祈さん。今日は、本当に優しくしてくれて、ありがとうございました」
言い終えて、電源を切る。
レシートは丁寧に、手帳のカバーの中にしまった。携帯電話ごと、それを化粧台に置く。そこに突っ立てたままにしていたマスカラやチークパフやらが崩れた。いくつか床に落ちたけれど、見なかったことにした。明かりを消して、寝床にもぐり込む。すぐそこにある目覚まし時計のアラームをオフにするのも忘れない。
それから、まどろんでは目が覚める、寝苦しい数時間を過ごした。浅い眠りの中で際限なく寝返りを打っては、ほんとビールなんて金輪際ゴメンなんだから、と膨らませた頬をしぼめるうち、いつしか意識を失っていた。
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