「あんたはアブラアゲ。手も足もない。少なくとも、そういうことになってるんだから、今は手も足も出さず、じっとしてて。口も声も出したら駄目だかんね―――よーい・ドン(レディ・ゴー)とでも誤解されたら、堪ったもんじゃない。核シェルターでもない急ごしらえの舞台ごと、猛犬に木っ端微塵にされるのがオチだ」
核シェルター? 手足が生えたアブラアゲに、核弾頭を持ち出す? ああ、そいつは恐れ入るこった。
そう思いはするが、佐藤は口も口も出すなと言う。募りゆく気鬱に、麻祈はやけくそで破顔した。
「“オン・ユア・マーク(On your marks!)、レディ・ゴー(Ready set! Go!)”? はン。俺が口から声に出すとしたら、“Ready!, Steady!, Go!”だね」
負け惜しみ―――ああ、言われるまでもなく、口出しにすらなれない出来損ないだとも!―――がどこまで佐藤に通じたのか、それは定かでない。彼女は粛々とセッティングを進め、麻祈は従順に待機した。
その間、小杉について復習してもみた。彼女からのメールを、こちらへの好意があることを前提に一から読み直すと、やっと理解が追いつくものも数多かった。これはオソロイになれた奇遇が嬉しかったようだ、あのテレビ番組から波及した食事の話題はデート案だったらしい、―――そもそも麻祈へと連打でメールを送り続けてくること自体からして餌をねだり続ける雛鳥であるがゆえに成し遂げた離れ業と言える。
(だったら、こんな騒動になるのも仕方ないか。目を覚ます以前に、目が見えてないもんな。雛鳥)
たまたまぶら下げられた餌が、アブラアゲと目されただけのことだ。肉っ切れ(Beefcake)だったところで、雛鳥は食いついていただろう―――未熟ゆえに実直な執着は雛鳥の本質であって、美点でもなければ汚点でもない。ただ、雛鳥からアブラアゲだと思われた己自身が盲点だった。いつだって、残念なくらい自分への覇気はない。その欠点を貫かれてしまった。
(あーめんどくせー。こんな俺なんて、今に始まったわけじゃないのに。なんで今更こんな騒ぎに)
休日。昼下がり。喫茶店。指定された席に、麻祈はひとり腰掛けていた。
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