.そして、その後。麻祈が、とりあえず乗用車を車道に向かわせながら、
「すみません。この車、カーナビゲーションも搭載していないし、俺も近辺の地理にあまり詳しくないので、ここからの道順で住所まで指示して戴けるとありがたいです」
「あ、はい。分かりました。ここからだと、まずこの国道を左にお願いします。それでしばらく、直進で」
「分かりました。あ、暑かったら窓を開けてください。エアコンが効くのを待つより涼しいと思います」
縁石からタイヤが下りて、かっくんと揺れた。乗用車はちゃんとウインカーを出して左折し、法廷速度通りに進んでいく。ひとまず、紫乃は安堵した。ハンドルを握ると豹変するタイプの人間は、ざらにいるものだ。姉とか(自称:自動二輪車限定だけど)。
よじれていたスカートのすそを整えて、運転する麻祈を窺う。前席にて彼は、流れている小音量のラジオ番組に聞き入っている風もなく―――というか「イエエェェェアッハー! ボルテージ上がってるかい烏合の衆ううぅぅぅ! 烏合の衆ってウゴウゴ衆って言ってみたらダサカワ最前線だぜ俺的にゃあヒャッフー! ヒヤッフー! とっくにヒヤッとしてるのにフーフーあーん! バカップルめが小指折れ! ねじり折れ! ちなみに上がる・下がるはボルテージで、張ったり弛んだりするのがテンションだが、英語的にはテンションもボルテージも電気の威力に関する値だから、うっかり『俺ってば朝からハイテンションだぜ』なんて英語圏人に言おうものなら『今朝は高圧電気あびてきた』と食い違った理解をされるかもしれないから注意しろ! そこの君、俺のことを馬鹿だと思っておきながらこんなことさえ知らなかったそこの君、君こそ、シリーズ・人並みのクズのメンバーカウンター回すひとり目だぜぇ歓迎曲として一発目流すぞコルァ―――!」以下続いていくエクスクラメーションマークが絶えない謎のトークに聞き入る隙もないのだが、それはそれとして独創性溢れるBGMらしく聞き流しながら―――、肩肘張らずハンドルに指を掛けている。平地なので、急勾配のようにギアを切り替えたりといった作業も無い。話しかけても良さそうだ。
「麻祈さん。ここで暮らし出して、まだ日が浅いんですか?」
「うーん―――恐らく、坂田さんよりは、そうでしょうね」
返事を考えるよりも、運転から集中力を割くのに気を払うように、麻祈の口ぶりはどことなく上の空だった。
「坂田さんは、ここ、地元でしょう?」
「はい。生まれて、ずっと。みんなは出てっちゃってるけど」
「みんな?」
「あ。友達です。それと、同級生も。みんな、都会や海外に行っちゃって。就職とか、進学とか、自分探しとかで」
「自分探しって。探し当てたところで、場所移動してまで発掘した限定品が、帰郷してからの日常生活で役に立つとは思えませんが……時々取り出して自慢するだけなら、学歴か資格の免状の方が安上がりで実りもあるだろうに……」
「戻って来ない人も結構いますから。あっちにそのまま居ついちゃうパターン。葦呼が帰ってきたのは予想外だったかな」
「え?」
「? 葦呼がどうかしたんですか? 葦呼ですよ。ほら、佐藤葦呼」
「―――ああ、佐藤。佐藤でしたね。そういや。それ」
「あ、そこ左に」
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