.左折ターンに振り回される感触が過ぎ去ってから、今更だけれど、ちょっぴり笑ってしまう。友人の名前をど忘れする麻祈の姿に、親密味が感じられた。紫乃は、軽く丸めた手を口に当てるようにして、噴き出した吐息を押しとどめながら、
「あんまり呼ばないと、咄嗟に出ないですよね。こういうの」
「どうかなぁ。俺が、こういった風にアウトプットされる佐藤に不慣れなだけかもと思います」
(あうとぷっと?)
視線を横ずらせ、それを考えた隙だった。麻祈が、ふと黙り込んだのは。
なので、その不意打ちに備えていなかった。
聞いてしまう。
「―――葦呼」
囁きだった。
咄嗟に、紫乃は息をとめていた。
そうしなければ、心臓から跳ね上がった奇妙な鼓動をやり過ごせなかった。まさかその音を聞かれてはいまいかと疑ったわけではないが、それでもすぐ前の席に目を跳ね上げる。
どうということなく、彼は運転し続けている。気楽に耳たぶを掻いていた指先を、またしてもハンドルに添えながら、
「成る程。いいですね。佐藤より言いやすい」
それだけだ。コメントは終わり、口が閉じられる。
そうする麻祈に、コメントが膨らんで、無音のまま息吹く。
(―――紫乃だって、言いやすいと、思うんですから……)
これだって、だからどうだということではないのだけれど。
紫乃は押し黙った。口に含みかけた言葉のどれもが、吐き出してしまうには不味くも無くて、味わえるほどに美味くも無いのに、呑み込んでしまうには大き過ぎる。溶けて小さくなるのを待ちながら、持て余した感触をやり過ごすしかない。
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