. 去り際も、特別なものなどない……例えば、急にスピードを出すとか、急ハンドルを切るとか、もっと露骨に窓から手を出してオーケイサインを作るとか。どれか踏ん切りをつける目星がありさえすれば、うろうろとそれを求めて考えずに済んだのかもしれない。紫乃の声は麻祈に聞こえなかったのだろうか? 聞こえたのだろうか? 聞き流されてしまったのだろうか? だとしたら、迷惑だと思われただろうか? ―――
だからそうして、家の前に立ち尽くしていた時だった。
「あんた、どっから出んの? その声量」
振り向いて、振り仰ぐ。
自宅の二階の窓から、声の主が身を乗り出していた。歯ブラシなんか銜えながら。
「お姉ちゃん」
とりあえず、呼んでみる。部屋の電気は消されていたから、そこに姉―――漱がいるなんて気付いてもいなかった。て言うか、
「そこ、わたしの部屋なんだけど」
「知ってる」
「知ってて、いるんだ」
「悪い?」
「分かんない」
「へぇ。分かんないの。あたしは、タイミングだけは悪かったかなって思ってたとこだけど」
歯ブラシを噛んでいるのに、やたら明瞭に喋る彼女。
そして、しばし。しゃこしゃこと歯磨きに専念し出した漱を見上げる。
未読の雑誌でも拝借しようと思い付いて妹の部屋に入ってみたら意外に空が綺麗だったものだから窓を開けて歯磨きと月見を両立していましたと全身から物語る寝間着姿の漱は、窓のサッシに引っかけた空っぽの手をだらりと提げながら、半眼のまま虚空を眺めている。反対の手で、やはり、しゃこしゃこと歯磨きしながら。
ただし今はもう、専念するのを断念せねばならなくなったようで。
諦めたように視線を月から紫乃へ降ろして、歯ブラシをとめた。
言ってくる。
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