.ついに麻祈は、立ち止まった。
自宅アパートメントの、総合玄関の前である。そこには、フロント・フロアやエントランスどころかセキュリティ・システムさえ存在しない―――ばかりか、ドアさえない。麻祈の郷里では日本人が住むとしたら驚天動地の乱心を疑われる設備だが、日本においては日本の成人男性が単身で住み込む賃貸物件として標準的である。蛍光灯が息も絶え絶えに明滅しているのも、そんなしょぼい明りでさえ照らし出せてしまう狭苦しい軒下も、そんなものだ。
そこに、立ち尽くす。まずは、麻祈が。次いで、坂田が。
彼女の肩呼吸が収まるまで、十数秒は休憩できると油断していた。
だからこそ。コンマ一秒も置かずに。膝小僧を片手で押さえながら、もう片手を震わせて傘を差し出してきた坂田の口が、ぜえはあと開くのが見えた時……
「ぬれ、ぅかあ、か、返し―――」
とどめを刺されて、麻祈は笑い出した。
止まらない。止めようなど思いつかない。成すすべもなく、声をあげて笑い続ける。手前では、坂田の喘ぎ声は途絶して、目は点になっていた。それにさえ、どうしようもなく笑うしかないので、麻祈は笑い続けた。腹まで抱えた。地味に痛んでいた。このままだと攣りそうだった。それもいいかと思えていた。
そして、ようやく衝動を消費して。
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