「高校の終わりから」
「それはそれは」
「でも、葦呼の今回の誘いはびっくりしました。普段こっちからケータイにかけても、あんまり繋がらないのに。急にあっちからなんの連絡かと心配したら、損した気分です」
「院内にいると、それはどうしても。まあ佐藤の場合、オンコール日以外は、自前の携帯電話を自宅に置きっぱなしにすることもザラのようですが―――あ」
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最後にひとりごちて、麻祈はさらに歩く速度を弱めた。足の遅い紫乃でさえ追い越しそうになって、自然と歩幅を合わせつつ、そちらを窺う。彼は、己の革財布を開いて、白い紙ぺらを取り出したところだった。そして歩きながら、深い紅茶色をした財布の皮革を下敷きに、甘皮も肉刺(まめ)も無い指先にあるみずみずしい爪をペン軸として、何事かを書き留めていく。
(そう言えば葦呼も、ちっちゃいけど、綺麗な手してるっけ。手当てする手が荒れてたらカタナシでしょって言ってたけど。普段から化粧もしないくせして、ハンドクリームだけは欠かさないもんなぁ)
すべきことはなんなのか、判断してしまうことが出来る―――その上、すべきことを成すべきだと行動してしまえる人種なのだ。だからこそ葦呼の場合は、それ以外が疎かになったり、頓珍漢なこともしたりすることも多いのだけれど……高校の時、誤答してしまった問題を教えてくれないかとの同級生の求めに「教科書なんて正解しか書いてないのに、なんで間違ってんの?」と訊き返した不世出の神童の逸話は、未だ母校の語り草として健在らしい。
合コンの時、麻祈が陣内の喫煙を咎めたのも、それに類する行為なのかもしれないと思う。正しいことを、どうして誤る? と―――
そんなことは、紫乃にはすることが出来ない。
(だってあんなとこで、あんな風に言いさえしなければ、麻祈さんだって公衆の面前で謝らなくたって済んだのに。どうせ、それが愉快だろうが不愉快だろうが、じっとしていたら、いずれ終わるんだから。それを待っていればいいのに……どうして、あんな風にしたんだろう?)
考えるうち、ロータリーに着いた。
麻祈は外灯の元に立ち尽くして、目の前に翳した長方形の紙を覗いた。その人工的な灯明を備えた電信柱が笹の葉だとしたなら、手にした短冊をその上端に結わえるかのように……ただ、その眉宇(びう)は、そうやった神頼みなど消費されるべきイベントでしかないと暗に物語る、理知的な無を燈していた。
それが、こちらを向いた。彼につられて、立ち止まっていた紫乃へと。
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