(お医者さんなら、きっとこんなゴチャゴチャなとこじゃなくて、イイとこに住んでる筈だもん。だったら、きっと大通りまで出てくれる。そこまで行けたら、わたしだけで、駅までの道くらい分かる。だから、それまでついていかせてください! こっそりしてますから! ごめんなさい!)
ひたすらに、ただひたすらに平身低頭しながら、麻祈の踵を追う。
.
彼は陣内と違って長袖のジャケットにボトムスという純然たる私服であり、色合いからして有彩色など含んでいないので目印になるほど目立つパーツはなく、しかも振る舞いすら悪目立ちしない。街灯があるとはいえ、夜闇の人の中を追走するには、極めて難易度が高いターゲットだった。しかも、足が速い。履き慣れない厚底お出かけ靴で、役にも立たない飾り鞄を提げた紫乃では、装備からして不利なのだ。空かせた両手をポケットにひっかけた彼は、スニーカーですらすらと路地を進んでいく―――対向してくる肩を組んだ酔っ払い組を避け、街角に立つ看板娘から送られる秋波を横切り、それでも手を伸ばしてきた「三十分で二往復させてあげるわよ」との婀娜っぽい声に、「見くびると後悔しますよ」「へえ。どんな?」「とりあえず、延長料金はそっち持ち」とだけやり返して。会話は暗号通信としか思えなかったが、麻祈に続くかたちで出くわした酔っ払い組のランダムウォークを警戒しすぎてよそ見するまま転びかけ、看板娘のすぐ前でケンケンして立ち止まってしまったのを皮切りに投げつけられた彼女の目線は、紫乃など歯牙にもかけていなかった……異性でないという以上に、同性としてさえも。まあ、そういった手合いなのだろう。先のやり取りだって、二者間の暗号でなく、男女間の隠語の類に入るのだ。多分。そんなのにまで通じているなんて、もしかしたら麻祈は内面では外見以上にケルナルのトヒヤとやらに近いのかもしれないが……
(そんなのいいから、ちゃんと集中して! 見失っちゃうよ―――!)
紫乃は、どうにか再び歩き出した。
じゃら、と麻祈のベルトに引っ掛けられているキーチェーンが波打って、竜の鱗を思わせる燐光を帯びる。それを、追いかける。ふっと歩調が変化するたびに身をくねらせる銀鎖の輝きは、青白い夜光と相まって、海原を行く海蛇のようだった。大きなものにくっついて、おこぼれを狙う小さな生き物……それはむしろ、海蛇なんかじゃなくて、……
途端。
[0回]
PR