(酔ってるんだ。馬鹿みたい)
ひどく卑屈になってしまっている。それが気持ち悪い。微酔によって齎された浮遊感が、自分の足元にある落とし穴を踏み抜く直前のそれのように感じた。つま先に蟠るそれは、自分自身の影に過ぎないと、それを分かっているのに―――
その黒い虚無が、不意に、広がった。
落ちる。本当にそうなったはずもないが、それでもそうやって陥穽に落下する瞬間を思わせるばっとした俊敏さで、紫乃は頭上へと顔を跳ねさせた。
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麻祈がいた。正確には彼の面貌が、紫乃の斜め上、ランタンの灯明を背負うような位置にあった。癖のある毛先をひょいとそよがせて、紫乃の隣で立ち止まる。
表情なく、呟いてきた。
「いいでしょう。もう。『スイマセン』」
聞かれていた。
だとしたら、それまでの魯鈍さも、彼には見られていたのだ。だからこそ、見るに見かねて声を掛けてくれたのだろう。有能な者は、故意なく無能なまま愚図や鈍感を曝してしまう者を、助けずにいられないのだ……華蘭のように。あるいは、葦呼のように。
やはり彼もその人種らしく、紫乃が無意味にうめいて恥じ入っているうちに、せりふを続けてきた。
「ひとりで行くのが気まずいなら、俺と一緒に出ますか?」
「は、はい。お願いします」
「では、行きましょう」
廊下を歩き出す彼に、紫乃は追従した。
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