. 店は、まだ繁盛を続けるらしかった―――通りすがる客席の顔ぶれは入れ替わって、食事ではなく酒精と歓談をつまむのを目的とした年齢層の割合が増えている。繰り言もろともチーズを噛む老人達や、シャンパングラスを繊細なベルとして奏でては、乾杯でなく幸福を暗に周知させてくる恋人同士だ。
それらの憚(はばか)りとならぬよう、縁の下でくるくると立ちまわっていた給仕係のひとりが、それでも律儀に紫乃へと頭を下げてくる。
「ご利用ありがとうございました。道中、何卒お足元にお気をつけて、お帰りくださいませ」
「あ、はい。ありがとうございます。こちらこそ美味しかったです。はい」
そうして礼を返すうちに、歩を止めてしまっていた。
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大股で先を行く男性など、もう去って行ってしまったに違いない。それを疑わず、店員へと向けていた身体を、出入り口のドアに向けて翻す。
麻祈が、そこにいた。真鍮細工のノブを押し開けたまま、どうということなく立っている。
(わたしなんか。待っていてくれた?)
信じられず、紫乃は彼に追いついた。
麻祈は特に言葉を発するでもなく、外へ出て行く。視線だけは振り返らせてきた。ただしそれは、やっと来た鈍間(のろま)を大目に見るものでも小馬鹿にするものでもなく、注意散漫な後続者がドアに轢かれないかを確認する眼差しだった。よって確かめ終えると、さっさと外へ出る。
そして路上。彼は暗がりの帰路へと背筋を反転させながら、こちらへ会釈を送ってきた。
「それでは」
「あ」
紫乃は―――
咄嗟に、麻祈に、ついていった。
はっとして、……ただし歩行は停められないまま、紫乃は胸中で謝り倒した。
(ごめんなさいっええと……その―――あ、麻祈さん! 苗字忘れて、麻祈さんて呼んじゃって、二重にごめんなさいっ!)
どうして尾行など始めてしまったのか、思いついてしまえば理由など我儘し放題だ。方向音痴だけで、こんな迷路じみた飲み屋街から脱出できるか分からない。たったのビール一杯で酔っ払ってしまっているのが分かっているからこそ、色とりどりの酒杯を十杯近くチャンポンしたのに闊達な足取りを崩しもしない麻祈は、紫乃よりも頼もしい。その頼もしさを、頼りにしたい……だって自分は、こんなにも頼りにならないのだから。つまり―――ひとりぼっちは、もう嫌だ。ふたりでいてくれた彼を知ってしまったから、紫乃だけでいるのは、もう嫌だ。
紫乃は勝手ついでに開き直って、安心材料を一心不乱に組み上げた。
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