「彼女には、いつもお世話になっています」
「いえこちらこそ。じゃなくて、あたしこそお世話になってて。彼女には。あれ?」
またしても独自の罠にかかっている坂田を、麻祈は軽く笑んでやりすごした。こちらの小出しを餌に相手から本命を釣り上げるいつもの手口で、会話を展開していく。
「俺はもっぱら今の職場に来てからの付き合いですが、坂田さんは佐藤とは長いんですか?」
「ええと、高校の終わりから」
「それはそれは」
麻祈は頷いた。ただしそれは共感を覚えたからでなく、いまいち実感が湧かなかった“高校の終わり”とやらから今日までの重さをやりすごすための合いの手でしかなかったが。
どうやら、失策ではなかったらしい。気分を害した素振りなく、坂田はそのまま続けていった。
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「でも、葦呼の今回の誘いはびっくりしました。普段こっちからケータイにかけても、あんまり繋がらないのに。急にあっちからなんの連絡かと心配したら、損した気分です」
「院内にいると、それはどうしても。まあ佐藤の場合、オンコール日以外は、自前の携帯電話を自宅に置きっぱなしにすることもザラのようですが―――あ」
ふと、思いつく。
歩きながら、麻祈は紙幣用の財布を取り出した。それを開いて、いくらかのくすんだ紙の隙間から、真っ白いレシートを見つけ出す。引き抜くと、いつも利用している酒屋のクーポン券だった。告知されたキャンペーン期間は過ぎている。それを裏返して財布に敷き、十一のアラビア数字を、爪の先で圧をかけて書く。
一連の作業を終える頃、ロータリーに到着した。その端にある外灯の下で、角度を変えてレシートを見る。思い通り、えぐられて紙に残された凹凸から、数を読み取ることができた。
そんな彼をちらちらと目だけで窺って、そのたび居心地悪そうに己の胸元で手をもぞつかせていた坂田に、麻祈はレシートを差し出した。
「もしよろしければ、佐藤に繋がらない時は、こちらにどうぞ」
「え?」
「俺の携帯電話の番号です。俺なりに心当たりがある居場所に、佐藤がいるか連絡が取れるかもしれませんから。どうぞ」
「あ、はい。すいません……」
まるで賞状でも授与されたかのように、坂田は仰々しく両手でそれを受け取った。と。
坂田の鞄から、低い音が響いた。携帯電話の着信を告げるバイブレーション機能だろう。見渡すと、ロータリーに路上駐車している一台の車の運転席から、女性がこちらを見やりつつ片手をぱたつかせていた。
[2回]
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