. そして身体も、その場から脱兎する。野外駐車場まで駆け出して、自分の車を探した。程なく見つけたそれを開錠して、運転席に乗り込む。
陽光に蒸れた温かな車内。慣れたメンソールのにおいを嗅ぎながら、座席に背筋を沈め、フロントガラス越しの空を見上げる。そこは、常にあるような薄らかな藍色よりも心馴染む黄色にひたひたと侵された、じんわりした夕焼けだ。車のフェイシアに、ようやっと安堵の息を吹きかけて―――そこにきて、左手で携帯電話を握り締めたままだったことに気付いた。あなただからこそ甘えたようなことを打ち明けるけれど、実は週明けに重症例の検討会があって、その予習仲間からそろそろ連絡が……と同業者なら臍で茶を沸かすような虚偽をくっちゃべる際に印籠として小杉にかざしてから、握ったままでいたらしい。
(助さん格さんも無しに水戸黄門をやらかすなんて。とんだ“ちょいとそこまで(ポップ・アウト)”だ)
.
痛切に思いながら、今さっきより重めの息を重ねて、それを上着に戻そうとする。途端、携帯電話の電子音が、音声着信を知らせてきた。
(まさか本当に重症例の検討会の予習仲間か?)
へんてこな危惧を笑う気にすらなれないしんどさを覚えながらも、麻祈は通話ボタンを押した。それを耳へ押し当てる。直後、
「すいませんサカタです!!」
と名乗られても、どのサカタなのか見当がつかない。
そう言えば、電話番号通知を見るのを忘れていた。今更見る気にもなれないため、曖昧に相手の正体を探る。とりあえず、受け答えは日本語でいいと分かったし。
「ああはい。どうも。さかた。お久しぶりです。さかた?」
「い、葦呼に繋がんないもんだからー!」
「ああ坂田さん。佐藤葦呼の。先日はどうも。お久しぶりで―――」
「たったたた助けてください!」
やっとこさ脳裏で像を結んだはぐれ日本人旅行者へと麻祈が会釈したのをぶったぎって、彼女―――坂田が、まくし立てていく。
「会社の寮で上野さんが倒れてて、怪我とか血とかはないんですけどぐったりしてて全然もう、わたしどうしたらいいか分からなくて―――!!」
「ため息」
麻祈は告げた。
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