.同時に半身を返して椅子の上に立つと、針葉樹の並木の上から首を出す。両手を枝葉に突っ込んで、向こう側にある発言者(佐藤)の頭蓋骨を握り込むと、ポートボールの球のごとくゲットされた佐藤が暢気な悲鳴を上げた。いや、悲鳴か? けたたましい葉擦れの音と、彼女の頭を締め上げるぎちぎちとした異音にかき消されてしまって、はっきりとは聞き分けられない。後者の異音はもしかしたら、自分の引き攣った顔面筋と青筋の軋轢から漂っていたのかもしれないが、それこそ聞き分けたくはない代物だ。はっきりと。
渦中の人物が、まさか樹上からお出ましになるとは思いも寄らなかったに違いない。佐藤の真向かいの小杉、ならびに左手壁側の坂田は、悲鳴どころか呼吸まで丸呑みにして自席で硬直している。彼女らの、どちらにでもなく―――ただし断固として、麻祈は断った。なにがなんでも断った。
「あの。俺、本気でそんな趣味ありませんので。念のため。実際の趣味は、ええと……大雑把な分野で言うと数学ですが、しかしそれがこのアマと被ったのが年貢の納め時だった気がしています今ひしひしと」
「納め時を過ぎたら延滞料金発生だー。カネ払えー」
頭部の災難などどこ吹く風とばかり、しれっと佐藤が野次ってきた。
(お前って奴は、どうしてそう―――!!)
両手首のスナップをきかせて、佐藤の顔をぐりんと上向かせる。それこそ、客をシャンプーする美容師の位置関係で―――ついでに以前そんな例えを持ち出した坂田との関わりまで思い出して一段と落ち込みかかりつつ―――、目が合った。佐藤のそれは、水晶玉のように澄んだ瞳だと言えた……あるいは、ビー玉のようなそれだとも。そこに映り込んだ男が見える。変な帽子と変な手拭いを身につけて一触即発の虜になった奇相を曝す大馬鹿野郎、それがお前だと見透かしてくる。それこそ、水晶玉を前にした魔女のように。だと言うのに、ビー玉をいじって遊ぶ童女のように、あどけなく。
どっと意気を失って、麻祈は彼女を手放した。
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