.紫乃は、へらりと弛んだ顔のまま、阿呆のように立ち尽くしていた。
葦呼も、ずっと立っていたけれど、ふわりとした髪に隠されてしまっていた横顔の顔つきは、杳(よう)として知れず。
真顔の麻祈は、きびすを返した。
そのまま、歩いていく。喫茶店の出入り口へと。行ってしまうのだ。それはそうだろう。彼は麻祈だ。最初から、別世界の人だったのだから。別の世界に戻るのは当たり前じゃないか。
そんな風に割り切るなんて、紫乃にはもう出来ないのに。
(あさき、さん)
拒絶されても縋ってしまう。
「―――あさ、き、さん」
縋るならば、呼んでしまう。
彼が、―――
立ち止まって、振り返った。紫乃へと。こたえてくれた?
合コンの夜にそうしてくれたように、彼はまた出入り口のドアノブに手を掛けながら。
ただし今日は逆光で顔が見えず、呟きだけが肩越しに響く。
「それがなにか?」
それがなにか?
彼は麻祈だ。それがなにか?
分かるか? ―――そんなことさえ問うてくるしかない、お前。“それこそが”。
(ごめんなさい)
彼に、とどめまで頼ってしまった。それに気付く。
血の気と共に、体温までも下がった気がした。視界まで暗くなる。そればかりは紫乃に起因したものでなく、陽光を差しこませていたドアが閉まってしまうからだ。閉まってしまう―――
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