. 繰り返しの、かつ今更の話になるが。麻祈が日本に拠点を移したのは十八歳頃からだ。
兄の桜獅郎はほぼ誕生直後に段の家督の後継者として拉致されたし、妹の羽歩も生後十年を待たずそれに次いでいる。麻祈は、きょうだいの中で最も日本に不慣れと言えた。実際、兄・妹・自分の順に、その適応能力の甲乙丙は歴然としていた。特に顕著だったのは“和”へのそれで、害虫への嫌悪反応がそれに次ぎ―――言い訳を許されるなら本当に親指大のゴキブリなど日本に来て初めて対峙したのだからしょうがないじゃないか!―――、そして季候耐性へと続く。続いてしまう。
(ああ。また、面倒な時期になってきたな……)
梅雨。
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を控え、湿気た熱に臭気をごちゃ混ぜにした密度ある空気が、重苦しく肌身を浸食してくる予兆を切々と感じる。野外、路上にて麻祈は、軽く嘔吐(えず)いた。どこからともなくハウリングを繰り返す蛙どもの哄笑を一層に買うような、無様な音がする。
見上げれば、ちゃちな街灯でも判別できるほど腐った布団の綿の色をした厚雲が、みっちりと流れ込んだ夜空。見下ろせば、さほど防水も利いていないシューズのつま先で、いつまでも乾き切らない歩道を踏みつけていく己の足。どの水溜りも泥と砂塵を含みすぎているので、つま先を突っ込んだところで、ぱしゃりとも跳ねない。もう、どれが不快なのかも分からなくなった。そのまま歩くピッチを上げて、夜の街を進んでいく。
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