「あいつ、真性の食道楽なんだよ。味にうっさいからこそ、普段の摂食はエネルギー補給って割り切って、味覚を断って摂取してるだけ。ツウ気取りですらないから、摂取せずに済む場面では、気に入らなくてもゴネゴネ薀蓄垂れたりせず、とにかく残す。あいつと外食したら、その残飯くすねてるだけで腹一杯になるもん。見たことない? あの食い残し連峰」
「ええと。見た」
「でしょ。数学もそう。道楽のままにしておけば、好きなものを好きな時に好きなように愛でることができる。金銭やら面目やら責任やらが絡んでくる職業としてメシのタネにすると、そうできない。よって、億千万に届くかもしれないサラリーを棒に振った。これを真性の道楽者とせず、なにを道楽者と言うか」
不謹慎にも程があると言わんばかりに呆れ返って、更にだらだらと補足してきた。
「味覚もそうだけど。嫁味に慣れた親父の世話を異国でやり慣れてたせいでか、あいつメシこさえるのもめちゃんこ上手いよ。前に、成り行きでアサキングん家でご馳走になったことあるけど、雑炊をレンジでチンしただけで料亭がお出ましになったもん。あいつは『これでも実力の八割。高い値段の即席茶漬けに具と薬味と出汁をブレンドしただけ。ベロで覚えるまでもなく頭で配合比を丸暗記しさえすれば、お前だって作れる』とか不満面ひっさげて給いやがったけど、……だからこそ野郎にとっちゃあれが普通で、外野から褒め称えられる所業じゃ無いって、リアル傲慢の現われなんだって。そんなの、あいつにさせときゃいーじゃん―――あれを当然のよーに再現出来るまで腕上げんの、ほんと大変だって」
「大変だろうけど。頑張ることくらいなら、わたしでも出来るし」
そこまで来て、紫乃は強調した。
「……相手が相手だし」
「どういう意味?」
聞き返されるが、答えようがない。葦呼には説明できない。彼についていこうとしてきたのは自分だし、そうしてきて腹を決めたのも自分だ。
紫乃は、その確信の断片を口にした。
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