「坂田紫乃」
「ああ。坂田さん」
やっとこさ合点がいって、麻祈はぱちんと指を鳴らした。音は軽快にはじけたが、長袖の白衣の袖口の中に吸い込まれて響かない。手首の腕時計の自動巻き機構が、動いたはずみで巻き上げられた感触がした。
お礼と言うのは、数日前の電話対応の件だろう―――ということは、やはりあのあと、うまいこと事態は片付いたのだ。それがなによりも喜ばしい。
(あれ? だったら、うまくいきましたって報告くらいあってもいいような気がするけど)
確かに、なにかあればと言付けた手前、何事もなく済んだことを電話するのは、それに反してはいる。が、引っかかる。
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ならば、これの橋渡し役をしてくれている佐藤が、大なり小なり事情に通じている可能性をアテにしてみるしかない。麻祈はぶら下げられた紙袋から、彼女へ向けて顔を上げた。佐藤は短躯とはいえ、さすがに椅子の麻祈よりは頭の位置が高い。
「なに? お前、坂田さんと逢ったの?」
「うん。こないだ、お茶した」
「へー」
「柚子もみじ茶と味噌こんぶベーグルが七味唐辛子きいてて美味かった」
「うあ」
「ほっとけ」
「分かるんだ。感嘆しか口にしてないのに。エスパー? それとも愛?」
「どっちを期待してんの?」
「エスパーだったら教えを乞いたいし、愛だったらアリガトウを伝えたいね」
「あたし的にはエスパーだったらもっと有意義っぽい場面で能力使いたいし、愛だったらそれこそ有意義な場面で使いたいもんだけどね。つまり、返事はどっちでもなく、あんたへの唾棄」
「つれないねぇ。俺との清く正しく美しい男女交際がどれだけ目に突入したか、お分かり戴けているのかい? ハニー」
「まったくだよダーリン。ほんと、こんな駄法螺でも言っとかないと忘れるっつの」
「じゃあ忘れないよう、日本耳にない違和感を“送ろうじゃないか、俺のとびっきりのカワイコちゃん(A present for you, The only my popsy.)”」
ふたりは―――
そこまできて、やっと周囲へと注視を撒いた。
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