.麻祈は手を洗って、ミニキッチンの水切り棚からコーヒーカップを取り上げた。ワンルームに戻り、タオルを座布団にちょこんと椅子に座した坂田からの視線を背後から感じつつ、冷蔵庫に手をかける―――下段の保冷庫ではなく、上段の冷凍庫の方だ。開封と共に増えていく雑菌が気になるし、いざとなれば自販機もコンビニも徒歩圏内なので、麻祈は自炊日以外に飲料水の備蓄をしていない。自分でコーヒーを煎れる時でさえ、蒸留酒をロックにする用の氷を溶かして使っている。なので今日も、そうするしかない。
(あ)
コーヒーで思い出した。
冷凍庫には、袋入りの氷や自炊品のタッパー以外にも、湿気るの予防に封を切ったつまみや、いざという時に氷嚢にするレトルトパウチのカレーが並べてある。それを倒さないよう氷をコーヒーカップに取って、麻祈は冷凍庫を閉めた。拍子にからんと雪崩れた氷の音を手元から聞きながら、テーブル向こうの坂田に振り返る。
「あの。ごめんなさい」
「ほえ!?」
「うち、コーヒーしかないんでした。こんなお時間にお出しするのも気が引けるので、白湯でもよろしいでしょうか?」
「はい! はい、もう、ほんとお構いなく! はい!」
勢いよく背筋を伸ばしてカクカク頷いてくる坂田に、愛想笑いするしかない。
麻祈は、廊下に出た。ミニキッチンの蛍光灯を点して、コーヒーカップを電子レンジにかける。
(びびられてるなぁ俺。まあ、女性が、ひとり暮らしの野郎の家にあげられたら、そんなもんかもな。ゆゆを筆頭に、いっつも勝手に殴り込んでくる奴ばっかだったから、気がつかなかった)
だとすれば、坂田自ら玄関のロックをふたつともかけたのは矛盾しているような気がしたが、こちらを刺激せぬよう本能的に忍従しただけかも知れない。合コンの時に、麻祈と目があっただけでホールド・アップ体勢を固めた彼女なのだから、そうであったところで疑問は無かった。
(そうだった。俺、しょっぱなからビビらせたんだっけ。あーあ、坂田さん、早く家族に連絡とれるといいんだけど。お姉さんだったよなぁ。合コンの帰りに迎えに来てくれてたのは)
軽いベル音が鳴り響いて、レンジが過熱の終了を告げた。
取り出すと、機関車の煙突を思わせる勢いの湯気が、コーヒーカップから立ち上っていた。物思いに耽って、加温と解凍のスイッチの切替えを忘れていた。
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