.レジまでの距離を歩き終えると、我知らずため息が出た。
「―――これは珍しい」
「え?」
目をぱちくりさせて、すぐ横……バーカウンターに乗せたレジ越しに、こちらを見ているシノバへと顔を向ける。
すると彼こそ、直前まで目をしばたいていたらしく、痒そうに指の背で睫毛のきわを掻いた。苦笑してくる。
「いえ。なんと申しましょうか……その壁に向かわれて、ため息をおつきになったお客さまなど、ついぞ見たことがなかったものですから。失礼なことをいたしました」
「あの、そんな……とんでもないです。ごめんなさい」
非礼を詫びてくるシノバに謝り返して、紫乃は横目をその壁とやらに向けた。
(あ。写真って、このことかぁ)
成る程。確かに、見てしまえば歓声しか出ない。
そこにある壁面の上半分が、多種多様の写真で覆われていた。カラー写真の色彩だけの意味で多種多様なのではなく、カラーペンで書き込まれたメッセージや、色紙とクレヨンで手作りされた額縁など、それぞれに華やかで個性的だ。て言うか、個性が華やかなのだろうか……折り鶴がくっついた写真には『愛鳥週間』とタイトルがあるが、写っているのは、こんがりとキツネ色に焼かれた鳥の太腿に噛みつく男衆の姿と、『Love ya!』と綴られたフキダシコメントだ。
(ラブ・ヤ? で、いいのかな。読み方。なんだろそれ)
もちろん、時節に応じたイベントや、誰彼の誕生日のような、凡庸な記念写真もあるにはあるのだが。
そして、そちらのジャンルには必ずと言っていいほど、シノバが映っていた。
(おすすめって、このことだったのか)
納得する。
写真のシノバは、実に様々な形に口髭を整えていた。今のような、ちょび髭スタイルは生温い。詳しい名称は知らないが、コップ牛乳ひげに、顎下の筆ひげに、無精ひげ……ツケヒゲとしか考えられないものもある。一番目立っていたのは、明らかにサンタクロースをイメージしたであろう装束―――ただし色は緑だが―――を着こんで、真っ白な剛毛をもみあげから頬からもじゃもじゃと蓄えた姿だった。生い茂った色が空白なのを利用して、誰かの手で『篠葉・唯一知』と書き込みがされているのが、またいい味を出している。
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