「申し訳ありませんが、こちらはお預かりになった坂田さんから段さんへ、ご返却をお願いします」
「はあ」
「―――具申ですが。ものが金銭ですので、一刻でも早いほうがよろしいかと」
「でも、麻祈さん、ちょっと待っていて欲しいって言ってたし。写真でも見ながら―――」
うろたえた双眸をおっかなびっくり向けるのだけれど、篠葉はあくまで手を引っ込めてくれない。しかも、念押ししてくる。
「写真は、壁が埋まるごとに、整頓しています。より古いものは、そちらのアルバムに、すべて収録済みです」
と、レジの横に備え付けられた小さな棚に視線を落として、そこに置いてある冊子を示した。
そこから、彼の眼差しが紫乃へと戻ってくる。
その双眸はまたひとつ別の隠し事を孕んで、こちらの深読みを誘うような清んだ眼光を燈していた。
「あなたの麻祈さんは、今を逃して、よろしいとは思えない」
意味は分からない。分からないまま、背を押されている。それが分かる。
ただし同じくらい、紫乃には分かってしまったことがある。
紫乃は、片手に革財布を、もう片手に数枚の小銭とレシートを―――最後にはその両手まるごと胸倉に掻き抱いて、レジから駆け出した。
迷うことなく店の玄関まで走り、ドアを開ける。引き戸を引いたはずみで、肩に掛けているカゴバッグが落ちかけた。落ちかけただけだから、どうでもいい。
ドアから出る。小さな踊り場に立つと、なまあたたかい夜気に満たされた地味な夜景が見通せた。足元、三段階段が歩道へと降りているが、その先には誰もいない。壁に沿うように作られたスロープ、そちらの先は乃介蔵の駐車場に通じている。今はそこに、車が二台―――
違う。正確には、乗用車が一台と、車椅子が一台。前者の付近で、子どもを乗せた後者を押している、母親らしき女性。彼女の手前に、麻祈が立っていた。ちょうど談笑を終えたらしい。乃介蔵へと車輪を向けた車椅子を見送るように、顔をこちらに向けてくる。玄関までの順路を目算しようとしたのだろう。そして、そこにいる紫乃を見つけた。
途端に眼差しが、凝視へと変貌する。
遠目にも、それが分かる。そして、それ以外にも分かってしまう。麻祈の鼻筋から口許にかけて、皺が浮かんだ―――急に煮立ったミルクの湖面が、皮膜を捩(よじ)らせるように。
(怒って……る?)
そこで、スロープを上り切った親子連れに場所を譲るかたちで店内へ引っ込まざるを得なかったため、直感も途切れた。
[0回]
PR