「でしたら、段さんも現金で払えばよろしい。いつもそうしておいでなのですから」
「え? そうなんですか?」
「はい」
「じゃあ、どうして急にカードなんて……」
「持ち合わせもあるようですし」
「って、なにしてるんですか篠葉さんっ!?」
「勝手ながら、持ち合わせの確認を」
慣れた手つきで革財布の中を検分し始めた篠葉に血相を変えるのだが、彼は平然として目線すら上げてこない。酔った勢いで会計を丸投げしてくる客など珍しくもないということか、後ろ暗さもなくさっさと札入れを目視し終えると、小銭入れまで開いた。が、そちらは空だ。そもそも使ったことがないようで、革が痛んでいない。
(コインケースと分けて持ってるのか。聞いたことあるけど、そんな人って本当にいるんだ。麻祈さん、おつり出したくないからカードを使う気なのかなぁ)
急な外出でそちらを携帯するのを忘れてきた場合、その可能性も無くはない。個室の方を振り返るが、まだ財布の持ち主が現る様子はなかった。
矢先。なにかに気付いたように、篠葉がふと虚空を見上げる。
そして、壁に掛けてある古時計から目を外すと、不意にこちらに背を返して、そのまま奥の厨房に行ってしまった。厨房は、瓶の整列したバーの棚のすぐ横が出入り口となっており、紫乃の立っているレジの前からは、厨房の中どころか勝手口まで見通すことができる……要は、勝手口に取り付けられた大ぶりの硝子窓にくっつくようにして、外の様子を窺い始めた篠葉を見ているしかない。
(なに? 急に。探偵みたいな)
警察ドラマの尾行シーンと言うのもポーズ的にはアリだろうが、ちょび髭に洋装の篠葉だから、探偵の方がお似合いだ。パイプなんかを片手にしてると、もっといい……それも、おたまじゃくか音符みたいな形をした、古めかしいやつがいい。
(あんなの吸いながら尾行してたらニオイでばれそうなもんだけど。そんな展開するドラマ見たこと無いんだよなぁ)
そのあたりで、篠葉が帰ってきた。
そして、手にしていたままでいた麻祈の財布をもう一度開くと、今度は眼差しだけでなく指先を中に突っ込んだ。取り出したそこには、五千円札がつままれている。
「え?」
戸惑う紫乃を尻目に、篠葉は着々と会計を済ませていく。レジを弾いて計算を終え、ついにレシートまで出し終えた。
「あ。あの、そんな。勝手に」
「お許しください。生憎、カード精算機の調子が悪うございまして」
「でもそんな」
「お許しください」
そして紫乃へと、麻祈の財布と釣銭を差し出してくる。
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