「エ? ア、」
まるで彼も答えを見失っているかのように、ひくひくと呼吸の痙攣混じりにあえぎながら、視線を泳がせる。その眼差しの手探りが、己の手から、紫乃のそれを辿って―――
途端に、さっと血の気を取り戻した。
「す、すみません」
口走りながら、こちらを気遣って、手を伸ばそうとする。のだが、視界に自分の指が入った途端、愕然として腕まるごと引っ込めた。まるで汚点を隠そうとするかのように、腰の裏に二の腕まで回して、口早に告げてくる。
「俺のことは、別に構わなくていいですから。それより坂田さん、怪我とかしませんでした?」
「し、てません」
「ならよかった」
(よかったなんて言えた顔してない)
街灯もまばらで、家並からも窓明かりが消えつつある路上。月明かりは遠く、星明かりになど期待するべくもない。だというのに、それが分かる―――分かってしまうほど、彼が追い詰められている。それまでも分かる。
せりふまで、口先で上滑りして、よそよそしい。
「すみません。すみませんでした。ほんと。おっかしいなぁホント。見当識障害? たったの焼酎一杯で桃色ゾウさん(ピンク・エレファント)がお出ましなんて、いっくら疲れてるにしても、俺のくせして、どうしてしまったんだか。トシですかねぇ。はは。あはは」
後ろ頭を掻く仕草も、そのから笑い以上に、空回りしている。
それを、止められなかった。桃色ゾウさんって、なんですか? ―――そんな合いの手さえ舌に乗せる決心がつかなかった。その隙に、言われてしまった。
「帰りましょうか。そろそろ」
逆らうべくもない。
「はい……」
「バスに乗るまで送らせてください」
逆らうべくもない。またしても。
とん、と肘まで落下したカゴバッグの重たさで、やっと現実感と実感の落差を体感した気がした。
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